ニッケイ物語 6—いただきます 2!新・ニッケイ食文化を味わう

あなたが食べているものは、どのようにあなた自身のアイデンティティを反映していますか?コミュニティが結束し、人々が一つになる上で、食はどのような役割を果たしているのでしょう?あなたの家族の中では、どのようなレシピが世代を越えて受け継がれていますか?「いただきます2!新・ニッケイ食文化を味わう」では、ニッケイ文化における食の役割を再度取り上げました。

このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。

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復活のフェイジョアーダ

「3年ぶりに美味しく頂きました」――。2005年6月、ブラジル岡山県人会の岡詢(まこと)会長(当時、66歳)は、ブラジルを代表する料理「フェイジョアーダ」の皿を前に、なにかをふっきったような晴れ晴れとした表情でそう言った。

それもそのはず、岡さんは同県人会館でフェイジョアーダの大鍋をひっくり返して全身大やけどの瀕死の重症を負った過去があるからだ。

ブラジルを代表する郷土料理フェイジョアーダは、黒豆を牛の耳や干し肉などと煮込んだもの。肉の脂分やゼラチン質がたっぷり溶け出し、やわらかくなった黒豆がどろどろのスープ状になっており、マンジョッカの粉をかけ、御飯と共に食べるこってりした料理だ。

なぜか土曜日の定番料理で、ブラ…

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フライドチキンと太巻き

ドキュメンタリー映画 『Fall Down Seven Times, Get Up Eight: The Japanese War Brides』(訳注:第二次大戦後米兵と結婚し米国に渡った日本人女性とその娘たちを描いたドキュメンタリー映画)の中で、ヒロコ・トルバートさんは、「私は完全にアメリカ人」と言います。それに対し娘のキャサリンさんはこう返します。「自分がどんなにアメリカ人らしいかお母さんが言うなんて妙ね。毎朝味噌汁を作っているじゃない」。ヒロコさんがクスクス笑いながら、「食べ物はまた別の話」と言うと、二人は一緒に笑いました。そう、別の話なんです。

親友のブレンダと私は、成長するにつれてよく食べ物の話をするように…

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ミヨコさんの「ペンサォン」 ここが出発点

フジサカ・ミヨコは私の母で、現在93歳です。母が29歳の時、4人の子供を残して父は他界しました。どのように生活を続けるか考えていた時、祖母に「ペンサォン(下宿)」を営んだらどうかと、励まし勧められました。それをうけ地方に住む日系人の学生たちを対象とした食事付きの下宿「ペンサォン」をオープンしました。

最初の下宿人は8人の大学生で、朝昼晩と3食提供しました。昼に下宿へ戻れない学生にはお弁当を持たせました。

「ペンサォン」はメルカド区カルロス・デ・ソウザ・ナザレー通りにありました。同じ通りに父とヒデオ叔父さんが経営する卵問屋がありました。

母はブラジル風のものと日本風のもの両方作りました。母の料理はすぐに近所の人にも知…

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貴重で、美味しいレガシー

ヒグチ・アイコさんは96歳の元気で活発なおばあちゃん。今でも何に対しても前向きで、充実した人生を送っていて、小説のいいテーマになると思う。ディスカバー・ニッケイ2017年7月にはアイコさんをテーマにしたエッセイが掲載された。日本放送協会(NHK)ではアイコさんのインタビューが放映され、フランスの新聞「ル・モンド」やその他の幾つかのメディアにもアイコさんは取り上げられた。

アイコさんがブラジルに来てから90年がたつ。そのうち60年はサンパウロ市で暮らしている。いろいろな能力の持ち主だが、長寿であることのほかに、今回、私が特筆したいのはアイコさんの料理上手なところだ。これは長年の知人も認めている。

料理教室に通ったことも…

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レストラン「Misuzu」で本当に起きた話!

アメリコ・デ・カンポス通りは、ラルゴ・ダ・ポルヴォラという小さな広場から始まり、ガルボン・ブエノ通りと交差し、ルア・ダ・グロリア通りに突き当たり、アルメイダ・プラド広場に出るところで終わる短い細道である。この道は、目を瞑ってても歩けるはず。いや、歩けるはずだった。住所は・・・1154番地だったか。そこには「Misuzu」という名のユニークなレストランがあった。

唯一の入り口の戸は小さくて狭く、白抜きの文字が入った青地の暖簾がかかり、ほこりだらけの提灯が吊り下がっていた。サンパウロ市東洋街にある他のどの食事処とも違っていたのは、開店が夜10時という点だ。なぜそんなに遅かったかって?Misuzuの常連客は、その時間にならな…

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