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ニッケイ物語 6—いただきます 2!新・ニッケイ食文化を味わう


2017年6月1日 - 2017年10月10日

あなたが食べているものは、どのようにあなた自身のアイデンティティを反映していますか?コミュニティが結束し、人々が一つになる上で、食はどのような役割を果たしているのでしょう?あなたの家族の中では、どのようなレシピが世代を越えて受け継がれていますか?「いただきます2!新・ニッケイ食文化を味わう」では、ニッケイ文化における食の役割を再度取り上げました。

このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。

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遺産 (legacies) ニッケイ物語(シリーズ)

このシリーズのストーリー

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納豆:ラブストーリー

2017年10月10日 • マーシャ・タケダ=モリソン

私は納豆が大好きです。でも、昔からそうだったわけではありません。私が7、8歳の頃、母が初めて納豆を食べさせてくれましたが、あまりうまくいきませんでした。私はむせてしまい、口の中の苦味を洗い流すために水を一杯くれと母に懇願しました。母は「納豆は体にいいのよ」と言いましたが、私はその時、二度とあのぬるぬるした臭い豆を口にしないと誓いました。子どもの頃、私はこれをたまごご飯や田作りなど、両親や祖父母が食べていたが、自分は口にしなかった奇妙な食べ物と同じリストに入れました。子どもの…

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キャベツのスープ

2017年10月9日 • エリエテ・セツコ・シマブクロ・タケダ

ゲロが私の家族のために料理をするために雇われたとき、私はそれが私たちの生活に革命を起こすとは想像もしていませんでした。ミナスジェライス州出身の彼女は、「実践的な」料理人(自己紹介)で、素晴らしいレシピでみんなを喜ばせる計画を持ってやって来ました。彼は、メニューを決めることに関してほとんど恥知らずな私の母に出会いました。この状況については簡単に歴史を振り返ってみる価値があります。そのとき私たちは9人でした。お父さん、お母さん、6人の娘、そしてとても強いヘルパー。私たちは家族と…

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はい、それは重要です: 二世料理と日系アメリカ人のアイデンティティ

2017年10月6日 • タミオ・スピーゲル

私は長年、日系アメリカ人特有の食文化を称賛し体系化することを提唱してきました。この文化を私は「二世料理」と呼んでいます。二世料理は、日系アメリカ人の「第二世代」(米国で最初に生まれた人々)である日系アメリカ人(一般的には 1915 年から 1940 年の間に生まれた人々)が成人し、強制収容後に米国全土に移住し、戦後の偉大な米国中流階級の発展に加わる中で発展した、米国特有の料理です。この料理の基礎は、第一世代の日本人移民である一世が日本から持ち込んだ味覚要素と、入手可能な日本…

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復活のフェイジョアーダ

2017年10月4日 • 深沢 正雪

「3年ぶりに美味しく頂きました」――。2005年6月、ブラジル岡山県人会の岡詢(まこと)会長(当時、66歳)は、ブラジルを代表する料理「フェイジョアーダ」の皿を前に、なにかをふっきったような晴れ晴れとした表情でそう言った。 それもそのはず、岡さんは同県人会館でフェイジョアーダの大鍋をひっくり返して全身大やけどの瀕死の重症を負った過去があるからだ。 ブラジルを代表する郷土料理フェイジョアーダは、黒豆を牛の耳や干し肉などと煮込んだもの。肉の脂分やゼラチン質がたっぷり溶け出し…

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口蓋

2017年10月2日 • ウッジソン・オカダ

私はまだ子供だったにもかかわらず、この結論に簡単に達しました。母方の祖父母の家は、それまで私が知っていた他の家とは大きく異なり、そこにいると、あたかも別の次元にいるかのようでした。この印象にはいくつかの理由がありました。大人たち(祖父母、両親、叔父)は日本語でしか話しませんでした。私のディッチャンの新聞や本はすべて日本語で書かれていました。ばっちゃんが観たミュージカルも日本のものでした。花瓶、絵、人形など、家のあちこちに散らばっている装飾品は日本から来たもので、いとこのおも…

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フライドチキンと太巻き

2017年9月28日 • リンダ・クーパー

ドキュメンタリー映画 『Fall Down Seven Times, Get Up Eight: The Japanese War Brides』(訳注:第二次大戦後米兵と結婚し米国に渡った日本人女性とその娘たちを描いたドキュメンタリー映画)の中で、ヒロコ・トルバートさんは、「私は完全にアメリカ人」と言います。それに対し娘のキャサリンさんはこう返します。「自分がどんなにアメリカ人らしいかお母さんが言うなんて妙ね。毎朝味噌汁を作っているじゃない」。ヒロコさんがクスクス笑いなが…

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このシリーズの執筆者

コミュニケーション・コンサルタント兼フリーランス・ライター。広報、米国上院議員担当報道官、ジャーナリストとして30年以上の経験を持つ。ミシシッピ女子大学でジャーナリズムと政治学を専攻し、文学士を取得。テネシー在住。親友のブレンダは医療研究機関に勤める公認看護師で、家族の近くで暮らしている。


(2017年9月 更新)

 


1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)


サンパウロ州ツッパン生まれの日系二世。法律大学卒業労働問題専門。50年間人事畑のエクゼクティブ・ビジネスマン。ビジネスコンサルタント。ニッポ・ブラジル新聞のコラムニスト。

(2017年6月 更新)

 


パラナ州出身。ロンドリーナ州立大学歴史学部・ロンドリーナ高等教育センター教育学部卒業。市立・州立学校の元教師。広島大学で文部科学省留学生(1987年ー1989年)。日本文化を継承する目的で成立されたロンドリーナの「グルッポ・ヒカリ」のメンバー。このグループのウェブサイトの写真編集を担当。

(2016年9月 更新)


ロサンゼルスの元教員。ロサンゼルス南部で行われているフローレンス・ニシダの農園ワークショップにボランティアとして参加し、洗心寺でも活動している。趣味は読書、太極拳、オペラ鑑賞。

(2023年6月 更新)


神戸生まれのマリ・レスペランス氏は、詩人、作家、編集者であり、近年南カリフォルニアに27年ぶりに戻りました。レスペランス氏による詩集、「The Darkened Temple」(2008年ネブラスカ大学)は、Prairie Schooner Book Prizeを受賞し、初期の詩集「Begin Here 」は、Sarasota Poetry Theatre Press Chapbook Prizeを受賞しました。また、トマス・Q・モリン氏と共に編集したフィリップ・リーヴィン名詩選集「Coming Close: Forty Essays on Philip Levine」は、2013年アイオワ大学から出版される予定です。レスペランス氏に関する情報は、こちらからどうぞ。www.marilesperance.com


1952年サンパウロ市生まれ。フジサカ・マサルとミヨコの末っ子。生後1年8ヶ月で父親を亡くしたが、幸せな幼少期および思春期を過ごした。兄ルイス姉アマリアとノエミアと「ペンサォン」の下宿人のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちに見守れて育った。

(2017年9月 更新)


1990年5月3日、東京都豊島区生まれ。2013年に上智大学外国語学部ポルトガル語学科を卒業。2016年に初渡伯し、ニッケイ新聞で研修中。

(2017年7月 更新)


ウッジソン・オカダ(通称:ウデー)は、1979年8月2日、サンパウロ州マットン生まれ。2005年からサンパウロ市リベルダーデに居住。「ニッパク新聞」のエッセイストのひとり。作家として幾つかの文学コンクールで受賞歴がある。その一つに、DF(連邦区)SESC文学賞・短編小説2位に選ばれた経験がある。

(2016年7月 更新)


パラナ州アラポンガス出身。パラナ州ロンドリーナ州立大学経営管理学部卒業。ロンドリーナのジュエリー・セミジュエリーの問屋のサイトやファンページの写真とビデオを担当。「グルッポ・イシンダイコ・デ・ロンドリーナ」のコーディネーターの一人。日本文化を継承する目的で成立された「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」のメンバー。このグループのウェブサイトの撮影、製作、ビデオ編集を担当。


(2018年6月 更新)


 ロベルト・オオシロ・テルヤは、ペルー出身の53歳、日系三世。両親セイジョウ・オオシロとシズエ・テルヤは、父方も母方も沖縄出身(豊見城と与那原)。現在は、ペルーの首都リマ市在住で、市内で衣類販売の店を経営している。妻はジェニー・ナカソネで、長女マユミ(23歳)、長男アキオ(14歳)である。祖父母から教わった習慣を受け継いでおり、特に沖縄の料理や先祖を敬う象徴である仏壇を大切にしている。子供達にもこのことを守って欲しいと願っている。

(2017年6月 更新)


ブラジルのセアラー州クラテウース出身。作家として複数の文学コンクールで受賞歴をもつ。第1回文協短編コンクール、第1回中国マカオの「ロータ・ダス・レトラス」短編コンクールでファイナリストに残る。2015年DF(連邦区)のSESC「モンテイロ・ロバット短編コンクール」の受賞作の一つに選ばれた。第1回文協短編コンクールの受賞作を集めた短編集『塀一つ隔てた2つの家庭とほかの物語』に作品を収録。

(2017年9月 更新)


タミオ・スピーゲルは、ニューヨーク生まれのミックスの三世です。米国と中国で製造、輸入、小売業に従事。日系アメリカ人文化の称賛と探求に興味があり、特に日系アメリカ人特有の料理の習慣や慣習に力を入れています。アッパーマンハッタンのワシントンハイツ地区に住んでいます。

2024年11月更新


現在61歳。生まれも育ちもサンパウロ市で、祖先は沖縄県人。結婚し2児の母。退職後、文章を書いて昔を思い出したり、視野を広げたりしている。

(2018年10月 更新)


マーシャ・タケダ・モリソンは、ロサンゼルス在住の作家兼アートディレクターで、コーヒーを大量に飲みます。彼女の執筆は、ロサンゼルス・タイムズ、ペアレンツ、ジェンラックス、ニッチ、Mom.com、その他のライフスタイル、教育、子育て関連の出版物に掲載されています。また、ポップカルチャーも取り上げており、パリス・ヒルトン、ジェシカ・アルバ、キム・カーダシアンなどのインタビューも行っています。ハリウッドで多くの時間を過ごしていますが、整形手術を受けたことも、俳優の子供を出産したことも、リアリティ番組に出演したこともありません。今のところは。

2023年5月更新


ドン・タナカは、38 年間勤めたエアコン サービス技術者を退職しました。その間、組合役員として、また南カリフォルニアの空調および冷凍部門のディレクターとして活躍し、南カリフォルニアには 2,000 人のサービス メンバーがいました。彼は、移民労働者の権利を保護する APALA (アジア太平洋系アメリカ人労働同盟) のメンバーになりました。彼は、日系アメリカ人国立博物館と Keiro でボランティア活動を行っています。また、WHPA (西部 HVAC パフォーマンス同盟) と呼ばれる委員会でもボランティア活動を行っています。彼らは、CPUC と CEC の目と耳となり、エネルギー効率の高い空調機器に関する意見を提供しています。

2017年8月更新


チャック・タサカはブリティッシュコロンビア州ミッドウェイで生まれましたが、幼少期のほとんどを、日系カナダ人の最初の強制収容所があったブリティッシュコロンビア州グリーンウッドで過ごしました。祖父のイサブロは愛媛県猿島に住み、1893年にオレゴン州ポートランドに移住し、その後スティーブストンに移り、1905年に妻のヨリエとともにソルトスプリング島に定住しました。彼らは1935年に猿島に永住することを決めました。チャックの父アリゾはソルトスプリング島で生まれましたが、幼少期を猿島で過ごしました。母はブリティッシュコロンビア州ナナイモで生まれましたが、和歌山県三尾村で育ちました。チャックはブリティッシュコロンビア大学に進学し、バンクーバー島で小学校教師になりました。2002年に退職した後、チャックは日系カナダ人の歴史の研究にほとんどの時間を費やし、現在はグリーンウッドの日系レガシーパークプロジェクトに取り組んでいます。

2024年9月更新


日系三世、母方も父方の祖父母も沖縄県の与那原村出身。現在、英語・スペイン語のフリーランス通訳であり、Jiritsu(じりつ)というブログを運営している。このブログを通じて、個人的に関心のあるテーマやペルーの日本人移民またはそれに関連する研究課題などを発信している。

(2017年12月 更新) 


サンパウロ州ベベドウロ出身。サンパウロ総合大学看護学部卒業。2010年引退までロンドリーナ州立大学教授。同大学の高齢者向けのラジオ番組「Tecer Idades」のプロダクションの一人。コミュニティの高齢者化プロジェクトのボランティアとして活動。寝たきり高齢者と介護者のためのロンドリーナにあるサポートハウスの取締役会に参加。日本文化を継承する目的で成立された「グルッポ・ヒカリ・デ・ロンドリーナ」のメンバー。このグループのウェブサイト製作、編集を担当。

(2018年6月 更新)


米国生まれ。大統領令9066により、2歳になる前に家族と共にハーモニー強制収容所(ワシントン州ピュアラップ)とミニドカ強制収容所(アイダホ州ハント)に収容される。強制収容に関する記憶の記述は、こちらから無料でダウンロードが可能(英語):Camp 1942–1945

「大統領令9066の発令にも関わらず、父方の祖父母、両親、夫、私はみな、アメリカンドリームを叶えられました。これは米国ならではのことかもしれません」。

元コンピュータープログラマー、コンピューターシステム・ネットワークアドミニストレータ―、アリゾナ大学教授兼理事だった故ハンク・ヤマムラ氏の妻、息子の母。現在はライター、粘土作家、水彩画家として活躍する。

(2017年3月 更新) 


ダニエル・ユキ・ヤンはロサンゼルス出身で、現在はベイエリアに住み、カリフォルニア大学バークレー校で英語を学んでいます。読書、執筆、絵画、ハイキング、パン焼き、旅行が好きで、もちろん日系アメリカ人のプログラムに参加したり、アジア系アメリカ人の団体で活動したりしています。過去には、延世大学バスケットボール協会、日系アメリカ人オプティミストクラブ、ライジングスターズプログラムに参加したほか、ゴー・フォー・ブローク国立教育センターや日系アメリカ人国立博物館で活動してきました。趣味として、またはディスカバー・ニッケイの寄稿者として執筆を続けながら、将来はヘルスケア分野でのキャリアを模索したいと考えています。

2017年7月更新

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ばあちゃん、グランパ、ティア、イルマオ・・・
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