コロニア発で全伯に浸透し、今では広く伯人に親しまれるようになった『YAKISOBA(ヤキソバ)』―。ただし、日本で一般的なのはソースヤキソバなのに対し、どうしてブラジルでは山のように具がのった餡かけヤキソバが広まったのか―。この謎は「コロニア七不思議」の一つと言われるほど経緯が不明だった。ところがその陰には、スザノ市の広谷製麺所の存在と、会館維持の為の資金源にしようと同地文協を陰ながら支える婦人会活動にあったことが分かった。〃ヤキソバ発祥の地〃スザノを訪れ、知られざる普及の裏話を聞いた。
今では聖市セントロ界隈ではセー広場やアニャンガバウーのブラジル人経営の庶民的バール1のメニューに「YAKISOBA」と堂々と書かれている。
レストランで食べる高級料理の「寿司・刺身」は主にブラジル人富裕層や中産階級に広まったのに対し、「ヤキソバ」はモトケーロ2や貧乏学生など庶民的な層にまで普及している点で、同じ日本食ながら別の特徴を持つ。いわば普及した日本食の双璧だ。
マカロン3の一種であるヤキソバは、受け入れられる素地はあった。だが、醤油の利いた甘味の強い餡かけの味付けは、日本食に不慣れな一般ブラジル人にとっては「異色な味」だったはずだ。「自然現象」であればソースヤキソバが広まったはずだが、餡かけが広まったのは誰かが普及活動をした形跡ではないか。なにか〃経緯〃があるはずだ。
そんな疑問…