イラシー・メグミ・ナゴシ

(Iraci Megumi Nagoshi)

1952年サンパウロ市生まれ。フジサカ・マサルとミヨコの末っ子。生後1年8ヶ月で父親を亡くしたが、幸せな幼少期および思春期を過ごした。兄ルイス姉アマリアとノエミアと「ペンサォン」の下宿人のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちに見守れて育った。

(2017年9月 更新)

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フジサカ・ミヨコ、95歳 - わたしたちのヒロイン

フジサカ・ミヨコは1924年9月24日、川内貞吉とクリの長女として大阪で生まれました。2人の兄とともに両親に連れられ、移民船「らぷらた丸」でブラジルのサントス港に着いたのは、1933年1月9日でした。 一家はサンパウロ州北西のコーヒーと綿の植え付け農園に入植しました。 両親と兄2人は農園で働き、少女のミヨコは妹の面倒と家事を任されていました。 1941年にミヨコの父親が亡くなり、母親は子供たちを連れてサンパウロ市に引越しました。 ミヨコはリベルダーデ区のカンポス・サレス州立学校で小学校卒業後、ヴェルゲイロ通りのミチエ・アカマ花嫁学校に通いました。ここで、料理、裁縫、日本語、ポルトガル語を学びながら、音楽や絵画、短歌、生け花、折り紙など、様々な活動に参加しました。当時、この学校に通うことは日系人女性の夢で、少数者の特権でもありました。 22歳のとき、ミヨコはフジサカ・マサルと結婚し、その後4人の子供に恵まれました。ルイス・タカヤス(1946年生まれ)、アマリア・マサミ(1948年生まれ)、ノエミア・キヨミ(1950年生まれ)、イラシー・メグミ(1952年生まれ)です。 夫はメルカド区カルロス・デ・ソウザ・ナザレー通りで卵問屋を経営していました。トラックでサンパウロ州の養鶏所を回り、卵を仕入れていました。 しかし、末っ子が1歳8ヶ月のとき、夫は37歳の若さで亡く…

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ミヨコさんの「ペンサォン」 ここが出発点

フジサカ・ミヨコは私の母で、現在93歳です。母が29歳の時、4人の子供を残して父は他界しました。どのように生活を続けるか考えていた時、祖母に「ペンサォン(下宿)」を営んだらどうかと、励まし勧められました。それをうけ地方に住む日系人の学生たちを対象とした食事付きの下宿「ペンサォン」をオープンしました。 最初の下宿人は8人の大学生で、朝昼晩と3食提供しました。昼に下宿へ戻れない学生にはお弁当を持たせました。 「ペンサォン」はメルカド区カルロス・デ・ソウザ・ナザレー通りにありました。同じ通りに父とヒデオ叔父さんが経営する卵問屋がありました。 母はブラジル風のものと日本風のもの両方作りました。母の料理はすぐに近所の人にも知られるようになり、頼まれて宿泊者以外の人にも食事を提供することになりました。料理の質がいい割に、手軽な値段だったので、口コミが増え、商売は徐々に繁盛しました。 母はあの時代に、セルフサービスという様式を先駆的に取り入れていました。今から60年以上前のことです! 毎日の食卓には、白いご飯、油ご飯、混ぜご飯が並び、みそ汁と漬物も欠かせないメニューでした。ブラジル人に欠かせない「フェイジョン1」と野菜炒め、それから懐かしい「Kiスッコ2」もありました。デザートはバナナとオレンジ。メニューは日替わりで次のような順番でした。月曜日はステーキと目玉焼き、火曜日は「ドブ…

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