ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/9/27/pensao-da-dona-miyoko/

ミヨコさんの「ペンサォン」 ここが出発点

フジサカ・ミヨコは私の母で、現在93歳です。母が29歳の時、4人の子供を残して父は他界しました。どのように生活を続けるか考えていた時、祖母に「ペンサォン(下宿)」を営んだらどうかと、励まし勧められました。それをうけ地方に住む日系人の学生たちを対象とした食事付きの下宿「ペンサォン」をオープンしました。

最初の下宿人は8人の大学生で、朝昼晩と3食提供しました。昼に下宿へ戻れない学生にはお弁当を持たせました。

「ペンサォン」はメルカド区カルロス・デ・ソウザ・ナザレー通りにありました。同じ通りに父とヒデオ叔父さんが経営する卵問屋がありました。

母はブラジル風のものと日本風のもの両方作りました。母の料理はすぐに近所の人にも知られるようになり、頼まれて宿泊者以外の人にも食事を提供することになりました。料理の質がいい割に、手軽な値段だったので、口コミが増え、商売は徐々に繁盛しました。

母はあの時代に、セルフサービスという様式を先駆的に取り入れていました。今から60年以上前のことです!

セルフサービス様式

毎日の食卓には、白いご飯、油ご飯、混ぜご飯が並び、みそ汁と漬物も欠かせないメニューでした。ブラジル人に欠かせない「フェイジョン1」と野菜炒め、それから懐かしい「Kiスッコ2」もありました。デザートはバナナとオレンジ。メニューは日替わりで次のような順番でした。月曜日はステーキと目玉焼き、火曜日は「ドブラジーニャ3」、水曜日は「フェイジョアーダ4」、木曜日はパスタ、金曜日は魚。土曜日は普段より種類が多く、そして日曜日は特別なメニューでした。ラザニアとか「バカリャウ(塩ダラのシチュー)」なので、デザートも特別なものが用意されていました。

では、ミヨコさんはどこで料理を習ったのでしょうか?ブラジル?それとも日本?

祖父のカワウチ・サダキチはクリと結婚し、4人の子供に恵まれ、大阪で暮らしていました。祖父は日本国鉄の役員だったので、暮らしは豊かでした。祖母は普通の主婦のように、毎日、料理を作る必要はありませんでした。ご飯とみそ汁だけ作り、ほかのおかずは町で買っていました。あの頃から大阪では、お惣菜がたくさん売られていたのです。しかし、ブラジルに入植後は、サンパウロ州の農園でコーヒーや綿の栽培に従事したため、お惣菜を町で買うことはできなくなりました。祖母は祖父と一緒に働きに出なければならなかったので、まだ8歳のミヨコに食事を任すことにしました。少女のミヨコはいろいろ考え、日本に居たころの食べ物を思い出しながら、わずかな材料を工夫して、楽しみながら料理をしたのです。

その後、ヴェルゲイロ通りのミチエ・アカマ花嫁学校に通い、料理の基本を習いました。母の料理への関心は、幼いころ家族のために食事を作る役目を担っていたからだと思います。

私たち兄妹(兄のルイスと姉のアマリアとノエミア)は誰一人母を手伝うことはありませんでした。なぜなら、私たちは十代で働き始めたからです。ただ、長男の兄は5~6歳の頃から料理しており、母が体調を崩した時や母が兄と姉だけを家に残して出かけた時などには、ご飯を炊いて、庭に植えていた野菜を使っての炒め物を作っていました。

小さい頃から料理をしていたせいか、兄は一人息子ですが、兄妹のうちで一番の料理好きです。家族会ではシェフとして御馳走を作り、特に、すき焼きは兄の得意料理です。

ルイスの有名なすき焼き

今は、友人のカシワクラ・ネルソンさんと一緒に、二人が通う教会のイベントで調理係を担当しています。毎月行われる「虹の会」は日系人高齢者向けの集まりで、昼食のメインは和食です。この月1回のイベントでは、皆が御馳走をとても楽しみにしているので、二人は、事前にいろいろアイデアを出し合い、インターネットで検索しながら丁寧にメニューを決めます。兄の奥さんもネルソンさんの奥さんも驚いています。「おじさん二人が、料理にこんなに夢中になるなんて信じられない!まるで遊びに夢中になっている子供みたい!」食事を通して人々を喜ばせる二人の意気込みは素晴らしいものです。

「虹の会」の昼食  

先日のメニューは、鶏の唐揚、麻婆なす、混ぜご飯、みそとマヨネーズドレッシングをかけたサラダでした。大好評だったので、来月の別のイベントにもこのメニューを出す予定です。

鶏の唐揚は日本の揚げ物ですが、ネルソンさんとルイスは釣りの仲間のブラジル人に教わった作り方を試してみたそうです。それは、片栗粉でしっかりまぶした鶏肉をさっと冷水に通してから、熱い油に入れること。そうすることでもっとカリカリに仕上がるので、評判がとても良いのです!

ブラジル式で揚げた鶏の唐揚

現在、母は養護老人ホームにお世話になっています。いろいろなことに興味を持つ母の一番好きなのは食べることです。母の料理上手と料理への関心を兄のルイスが受け継いだことを嬉しく思います。

訳注:

1. 豆を肉と一緒に煮込んだ国民的な普段食

2. 粉末のジュースの素を水に溶かして出来るジュース

3. 牛ミノ(またはハチノス)の鍋料理

4.「フェイジョン」に豊富な材料を入れてより豪華にした料理

 

© 2017 Iraci Megumi Nagoshi

ブラジル ディスカバー・ニッケイ 家族 食品 いただきます2(シリーズ) 日本食 唐揚げ ニッケイ物語(シリーズ)
このシリーズについて

あなたが食べているものは、どのようにあなた自身のアイデンティティを反映していますか?コミュニティが結束し、人々が一つになる上で、食はどのような役割を果たしているのでしょう?あなたの家族の中では、どのようなレシピが世代を越えて受け継がれていますか?「いただきます2!新・ニッケイ食文化を味わう」では、ニッケイ文化における食の役割を再度取り上げました。

このシリーズでは、ニマ会メンバーによる投票と編集委員による選考によってお気に入り作品を選ばせていただきました。その結果、全5作品が選ばれました。

お気に入り作品はこちらです!

  編集委員によるお気に入り作品:

  ニマ会によるお気に入り作品:

当プロジェクトについて、詳しくはこちらをご覧ください >>


その他のニッケイ物語シリーズ >> 

詳細はこちら
執筆者について

1952年サンパウロ市生まれ。フジサカ・マサルとミヨコの末っ子。生後1年8ヶ月で父親を亡くしたが、幸せな幼少期および思春期を過ごした。兄ルイス姉アマリアとノエミアと「ペンサォン」の下宿人のお兄ちゃん、お姉ちゃんたちに見守れて育った。

(2017年9月 更新)

様々なストーリーを読んでみませんか? 膨大なストーリーコレクションへアクセスし、ニッケイについてもっと学ぼう! ジャーナルの検索
ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら