リンダ・クーパー

(Linda Cooper)

コミュニケーション・コンサルタント兼フリーランス・ライター。広報、米国上院議員担当報道官、ジャーナリストとして30年以上の経験を持つ。ミシシッピ女子大学でジャーナリズムと政治学を専攻し、文学士を取得。テネシー在住。親友のブレンダは医療研究機関に勤める公認看護師で、家族の近くで暮らしている。


(2017年9月 更新)

 

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ニッケイ物語 8—ニッケイ・ヒーロー:私たちの模範となり、誇りを与えてくれる人

2 Presidents, 2 Senators, 2 Moms…and 2 Dads, too

My best friend Brenda and I have often talked about how much change and history our parents witnessed over the course of their lifetimes. We are the only-children, daughters of U.S. military fathers who were born and raised in the American South and Japanese mothers. Our parents lived through much of the history of the 20th century, and we too, as their daughters also are living witnesses to that history. Beginning in 1985, I had the great privilege of serving as a press aide to two of Tennessee’s U.S. Senators in Washington, D.C. As a high school and college student, I remember rea…

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ニッケイ物語 7—ニッケイ・ルーツ:私たちの文化の足跡をたどる

Embracing Our Nikkei Roots Via Southern Routes

If you’re a Japanese-American who lives on the East or West Coast, chances are, there are myriad ways to celebrate and nurture your Nikkei heritage with various festivals or celebrations, museum exhibits, trips to your local Japanese markets and restaurants, or through memberships in organizations such as the Japan Society or Japanese American Citizens League. But, what do you do if you grew up and live in the American South like my best friend Brenda and I? We are the daughters of Japanese mothers who married our Southern, U.S. soldier fathers in the aftermath of World War II. As Hapas…

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ニッケイ物語 6—いただきます 2!新・ニッケイ食文化を味わう

フライドチキンと太巻き

ドキュメンタリー映画 『Fall Down Seven Times, Get Up Eight: The Japanese War Brides』(訳注:第二次大戦後米兵と結婚し米国に渡った日本人女性とその娘たちを描いたドキュメンタリー映画)の中で、ヒロコ・トルバートさんは、「私は完全にアメリカ人」と言います。それに対し娘のキャサリンさんはこう返します。「自分がどんなにアメリカ人らしいかお母さんが言うなんて妙ね。毎朝味噌汁を作っているじゃない」。ヒロコさんがクスクス笑いながら、「食べ物はまた別の話」と言うと、二人は一緒に笑いました。そう、別の話なんです。 親友のブレンダと私は、成長するにつれてよく食べ物の話をするようになりました。日本人の戦争花嫁の母とアメリカ人の父の娘である私たちは、アメリカ南部で生まれ育ちました。日本には日本独自の食があるように、私たちが南部料理だと思っている食べ物を、南部の人たちはとても誇りに思っています。フライドチキン、バーベキュー、ターニップグリーン(訳注:かぶの葉の煮込み)、コーンブレッドは、そのほんの一部です。 私の母は、横浜のアメリカ赤十字社による“花嫁学校”の卒業生でした。こうした講座は、戦後米兵と結婚した何千もの日本人女性が、夫と共に米国へ渡る準備の一環として、アメリカ流の生活様式を学ぶために設立されました。 …

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ニッケイ物語 5—ニッケイ語:家族、コミュニティ、文化の言葉

ようこそ、みなさん

30年前、とてもうれしいことに、私がハパとして継承している二つの文化を紹介するイベントが二つ開かれました。私は、日本人の母と陸軍の職業軍人だった南部紳士の父の娘です。二人は第二次世界大戦後の日本で出会い、結婚しました。 父が軍にいた間、私は両親と一緒に世界中を回り、父の退役後はテネシー州メンフィス郊外の小さな町で育ちました。 1986年のメンフィス・イン・メイ・インターナショナル・フェスティバルでは、大バーベキュー大会や音楽演奏に加えて、日本にちなんだ催しが行われました。また、同じ年の夏にワシントンDCのナショナル・モールで開催されたスミソニアン協会のフェスティバル・オブ・アメリカン・フォークライフでは、テネシーと日本、両方の伝統と文化がたたえられました。 当時私は、テネシー州選出のジム・サッサー上院議員のワシントンオフィスで報道官をしていました。その年のメンフィス・イン・メイにはどうしても行きたかったのですが、その望みはかないませんでした。でも、上司と一緒に行くことができた同僚がお土産を買ってきてくれました。その中に “Yokoso Y’all(南部訛りで「ようこそ、みなさん」)” と書いてあるバッジがありました。私は、“Yokoso(ようこそ)” の意味が分かりませんでした。“Irasshaim…

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ニッケイ物語 2—ニッケイ+: 混ざり合う言語、伝統、世代、人種の物語

文化の狭間で

親友のブレンダは、私たちや両親が失われつつある世代であることに最近気が付きました。私たちには、それぞれ米国軍人の父と日本人の母がいます。第二次世界大戦直後の服務期間中、父は日本を愛し、さらに母とも恋に落ち、米国に連れ帰りました。私の両親とブレンダのお父さんは亡くなりましたが、彼女のお母さんは健在で、現在80歳になります。 私とブレンダは一人っ子で、友達同士というよりは姉妹のような関係です。父たちがテネシー州とミシシッピ州の田舎で生まれ育った生粋の南部人であるため、私たちは日本人と南部人のハーフと言えます。日本人である一方で、南部出身でもあるので、言語や食べ物、音楽を中心にそれぞれの文化的な影響を受けてきました。私たちが頻繁に“y’all”と言ったり、鼻にかかった声でしゃべったりする、というのは固定観念から来るものではなく、本当のことなのです。父親と同じように甘い紅茶やバーベキュー、炒めものが大好きで、i-PodにはエルヴィスやBBキング、カントリーミュージックや70年代南部ロックが入っています。初めて見たのは、母たちと行ったメンフィスでのエルヴィスのコンサートでした。 また、私たちの家には扇子や日本人形があります。母と同じように、うどんを買いに地元の海外食品市場に行ったり、お煎餅をパリパリ食べながらテレビを見たりするのが大好きです。i-…

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