深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)

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健康に100歳迎える秘訣とは=移民史の生き字引、梅崎嘉明さん - その2

その1を読む >> 「フジヤマの飛魚」見た後に飛魚歌会 梅崎さんはカフェランジアのブラジル人コーヒー耕地に入植し、植民地で畑仕事に従事した。戦争中、日本移民は敵性国民として移動がが禁じられ、ひたすら仕事に打ち込むしかなかった。その中で梅崎さんは写真と文学を学び、1949年に出聖してサンジョアン街で最初の写真館を開業し、子どもを育てつつ文学への情熱を燃やした。 同じ1949年6月に日本の国際水泳連盟復帰が認められるやいなや、古橋や橋爪ら6選手は、米国ロサンゼルスで8月にあった全米選手権に招待参加し、次々と「世界新記録」を樹立し「フジヤマの飛魚」と呼び讃えられた。その翌年1950年にブラジルのスポーツ省の招待で、彼らは南米遠征した。 全ブラジル水泳選手権大会がサンパウロ市パカエンブー・プールで3月22日から4日間開催され、古橋選手は400メートル自由形で南米新記録を樹立するなど偉業を残した。特別な計らいで国交断絶以来8年ぶりに、日の丸が公の場所にはためき、辛い戦中を送った日本移民の心を大いに慰め力づけた。 ニッケイ新聞2016年8月12日付《ブラジル水泳界の英雄 岡本哲夫=日伯交流から生まれた奇跡(4)》で、梅崎さんはその時に実際にパカエンブーのプールに大会を見に行った時の感想を、「大会の前には、何を大騒ぎしているんだとけっこう冷めた感じの人もいたし、私もそうだった。でも実…

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健康に100歳迎える秘訣とは=移民史の生き字引、梅崎嘉明さん - その1

健康に100歳を迎えるために 3月21日に100歳を迎えたサンパウロ市南部在住の梅崎嘉明さん(奈良県出身)が先ごろ4冊目の歌集を出版した。さらに家族が主催して120人もの親族友人が集まった盛大な100歳祝賀パーティーが25日に静岡県人会館で開催された。 補聴器も使わずに会話ができ、短歌や文章を毎日ひねり、挨拶のために舞台への階段も一人で上り、当協会にも普通に来社する。100歳まで生きる人はコロニアにも何十人かいるが、梅崎さんほど健康に紀寿を迎える人は少ない。健康の秘訣を本人から聞き出そうとしても「大したことは何もしてません」と謙遜するのみ。だが、祝賀パーティーの折に長女レジナさんがこっそり明かしてくれた。 Nippon.comサイトによれば、2022年9月1日時点で日本には100歳以上がなんと9万526人もいる。対するブラジルではArtee Cuidarサイトによれば3万人以上だ。日本の約2倍も人口がいるブラジルで、100歳以上は3分の1。それだけ当地では希だ。しかも健康な100歳は貴重な存在だ。 国家地理統計院(IBGE)によれば、ブラジル人の平均余命は76歳。この10年で平均余命は2年延びたが、健康寿命は3年失われたとの研究もある。かくも「健康に歳を取る」ことは難しい。梅崎さんの生き方を参考にしてみたい。 「移民史の生き字引」的存在 梅崎さんは1923…

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元ブラジル移民、ロス在住の樋口馨さん・ジョルナル・ド・ブラジルでカメラマン

第7回世界のウチナーンチュ大会期間中の11月3日、那覇市平和通り商店街・元雑貨部で開催されていた「なはーとがマチグヮーにやってくる 世界のウチナーンチュとマチグワー展」会場で、ブラジル移民展示を熱心に見ていた日本人老夫婦に声をかけたら、元ブラジル移民だった。 「あんたはブラジルから来た邦字紙記者か。僕は昔『ジョルナル・ド・ブラジル』のカメラマンだったんだよ。アチバイアの中沢宏一さんはアミーゴだ」と懐かしそうに笑顔を浮かべるのは樋口馨さん(かおる、89歳、フィリピン生まれ)だ。 現在は米国カリフォルニア州ロサンゼルス市在住。入居する老人ホームが改修工事をする2週間、日本へ観光旅行することになり、ついでに世界のウチナーンチュ大会を見に来たそうだ。 「戦後第1回移民船で渡伯した」というので1953年だ。父が8男で戦前にフィリピンに移住。マニラで樋口さんは生まれた。戦中に父は戦死。敗戦時は他の日本人と共に山の中に逃げたが、米兵に収容されて帰国した。 8年間、両親の郷里の福島県で過ごした。「狭っ苦しくてね。何か目立つことをやったらすぐ騒ぎになる。周りがうるさいんだ」と振り返る。「僕は当時県庁で仕事をしていた。だがブラジル移民が再開すると聞いて、母が僕ら6人兄弟を連れて移住を決め、まっさきに第1回移民船に乗った」 リオで降りて18年間を過ごした。最初の3年間は地方部ジャプイーバ…

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映画『ガイジン』と『ファミリア』の共通点

日本移民を通してブラジル社会描いた『ガイジン』 ブラジルでの日本移民の苦労を、現代の日本に置き換えたような話だな」――映画『ファミリア família』(成島出監督、配給:キノフィルムズ)のオンライン試写を見終わったとき、そう感じた。1月6日から新宿ピカデリーほか日本全国で公開中だ。残念なことに日本以外では見られない。 あの役所広司と吉沢亮が親子役となり、さまざまな違いを乗り越えて〝現代の家族〟を作ろうとする骨太の人間ドラマだ。その主要な役どころに、オーディションで選ばれた在日ブラジル人が抜擢されている。 この試写を見ながら、ブラジル映画『GAIJIN・Caminhos da Liberdade』(1978年制作、山崎チヅカ監督、以下『ガイジン』)と共通点があると感じた。 日系3世の山崎監督の祖母がモデルになった『ガイジン』では、移住した日本女性が、配耕されたコーヒー農園での多くの苦難を乗り越えてブラジルで逞しく生きていく姿を描いた作品だ。 「ブラジルには金のなる木がある」とダマされて移住し、農園では奴隷同然のような労働条件に苦しむ。農場の用心棒が理不尽に暴力を振るう中、こっそり夜逃げして都市部へ出て、労働運動に身を投ずる様子を仄めかして終わる。 文化活動に多くの規制が課された軍政時代に、少数民族である日本人移民が迫害される様子をリアルに描く話題…

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在外ウチナーンチュの活躍により琉球王朝時代の外交手腕の復活を! 辺野古米軍基地移設問題のオルタナティブ — その2

その1を読む>> ブラジルやハワイから数千人が駆け付ける大イベント 下地さんがホワイトハウスの前で、辺野古基地問題で揺れる沖縄知事選に出馬したことから連想されるのは、次のような日系人を巻き込んだ新戦略だ。 今年10月末から那覇で第7回世界のウチナーンチュ大会が開催される。ここで築かれてきたネットワークを活かして、米国内からアメリカ人であるウチナーンチュの声を通して辺野古問題を訴えるという戦略だ。 これは1990年から5年に一度、世界の沖縄県系人が那覇に集まってくる大イベントだ。沖縄にゆかりのある人々を結びつけた国際交流ネットワークを作り上げることを目的に、通常ならブラジルからだけで1千人以上、ハワイや北米からもそれ以上が参加する。 2011年、第5回大会の時に取材した。当時のハワイ州知事のニール・アバクロンビーさんは沖縄県系人と一緒にジャンボ機をチャーターして那覇入りしていた。 ハワイ州知事の講演を聞くと、「僕が小さい頃、カナシロという単語はレストランと同じ意味だと思っていたよ」と沖縄県系(ウチナーンチュ)への近親感をあらわに、そう英語で演説して会場を爆笑の渦に巻き込んだ。同じ太平洋の「島人」、ハワイ生活者としての同胞意識が言葉の端々から伺えた。 同大会では、あらゆる場面でハワイ勢の存在感が強かった。県系人最多のブラジルからは1千人だが、ハワイからだけで同数が馳…

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