ディスカバー・ニッケイ

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プランテーション労働者の服 (英語)

(英語)私にとって、砂糖精製所のすぐそばのプランテーションが生活の中心でした。毎朝(プランテーション)労働者たちが汽車に乗って(働きに)いくんです。彼らをよく観察してましたよ。私は毎朝父と同じくらいの時間に起きてました。4時ごろだったと思います。トイレに行くために、父を階段で待ってたんです。トイレは母屋から随分離れた屋外にありましたから。父を待っている間、労働者たちが弁当箱をブラブラさせながら、裏の未舗装の道を歩いていくのをよく見ていました。あなたのおじいさんみたいじゃないかしら、青いツナギを着てたので、配管工だったと思います。配管施設や砂糖工場で働いている人は、みな青いツナギを着てたので、もしかしたら砂糖工場で働いてたのかもしれませんけど。ともかく、毎朝彼が裏道を通ってくのを眺めていたんです。本当に優しい人で、父の良い友人でもあったんです。プランテーション労働者や大工は、皆白いツナギを着ていましたね。

そして女性。どうやっていたのかわからないけれど、3時に起きて夫のお弁当を作って、しかも二段重ね弁当。そして夫のために朝食の準備・・・味噌汁を作って、ご飯を炊くんです。だから女性たちは本当に早く起きなくてはいけなかったんですよね。そして何枚も服を着て。どうしたらあんなに速く服を着れるのか、私にはわからないですけど。だって服だけでもジャケット、腰帯、スカート、脚絆(すねあて)、レギンス(スパッツ)、手差しがあってどれも時間がかかるんですよ。それなのに、彼女たちはいつも5時半の汽車にはちゃんといるんです。暗いうちに起きなければいけなかったんですよ。


家族 プランテーション

日付: 2004年2月19日

場所: 米国、ハワイ州

インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)

マーガレット・オダ

日本語と価値観をもとに育つ(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

ロベルト・ヒロセ

日本の習慣(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ポーラ・オヨス・ハットリ

日本文化への興味 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父との思い出 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

祖父を理解するために日本語を勉強 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

外間良広

人生でもっとも印象に残っている日

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

外間良広

奥さんとの出会い

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

高木一臣

日本では親戚も少なく(スペイン語)

『らぷらた報知』ジャーナリスト (1925-2014年)

ベナンシオ・シンキ

家での規律と躾 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

クリスティー・ヤマグチ

祖父母の閉ざされた過去 (英語)

プロフィギュアスケート選手。オリンピック金メダリスト。(1971年生)

ジョニー・モートン

祖母との会話 (英語)

プロアメリカンフットボール選手。(1971年生)

ジョージ・ヨシダ

ジャズとの出会い (英語)

音楽家 (1922年)

ダニエル・K・イノウエ

母の生い立ち (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

ダニエル・K・イノウエ

父について (英語)

ハワイ州上院議員 (1924-2012)

カイ・フクモト

家族の伝統としての太鼓(英語)

三世の和太鼓奏者。マウイ太鼓のリーダー(1960年生)