私、中学時代ですからね。中学生はあんまりいなかったんですよ。それで目を上げてくれたんです。彼女も農業をもっていたんですが、いや、私のお母さんの言うとおりに自分のところへ来たんです。もうちゃんと分かっていたんです。中学生が少なかったから、目を上げたもんですよね。一時は、私の運命と言うんですかね、その人のアミーガ(友達)がいたんですが、私の家の隣だったんですよ。知っていたんです。立派な娘がおるということを。
I*: 会ったことは、お話されたりしたことはなかったですか?
いえいえ、なかったんですよ。しかし噂では立派な娘と言うことは知っておりました。
I: 誰かが、お嫁さんにどうかとか?たとえば良好さんが日本に、自分の奥さんをさがしているんだけどとか、そういう連絡をとって?
はい、私は3名が手紙で、3名の娘たちをこれ、これ、これと。私はすぐ妻になった、運命を、コレがいいということを。1940年ごろですな。(私が一人でロサリオから迎えに来ました。)
I: 実際に奥さんが日本からアルゼンチンまではるばる船旅をしてきて、迎えに行かれて、初めてあった時、すぐ分かりましたか?これが自分の奥さんになる人だって。
そう、わかりました。
I: どんな気持ちでしたか?
シー、シー(はい、はい)一緒に来た人に挨拶しなさい、といっていたんですよな。そして挨拶して別れて、自分たちは、ロサリオのおじさんたちが二人いたから、そこにお世話になって・・・もう、芝居のようですな、本当にいって、今から考えると。
*Iはインタビュワー。
日付: 2006年11月28日
場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス
Interviewer: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ
Contributed by: アルゼンチン日系センター