(英語) 父については、そうですね、頻繁に顔を合わせることはありませんでしたし、ある意味とても無口な人でした。父は仕事から戻ると髭を剃り、風呂に入り、夕飯を済ませるとまた次の仕事に行っていました。父はそういう生活を週6日間くり返していました。家族全員で過ごすのは日曜日だけで、私たちは教会へ行き、レストランで食事をしました。私たち一家にとって、それは本当に特別なことでした。そんな訳で、父と会話をすることはほとんどありませんでしたが、父が一家の長であるということはわかっていました。
父が定めた家族ルールのひとつに、どんな理由に関わらず夜10時には必ず自分の部屋に入っていなければならない、という約束事がありました。高校の最高学年生の時、私はYMCAクラブの会長でしたが、その時間には必ず家に帰っていなければなりませんでした。しかし、それも12月7日以降変わったのです。私は夜間家を空けるようになったんですね。ある日、私が夜10時5分に家に戻った時のことです。父は時計を見て、「遅いぞ」と言いました。私は、「そうですね。ごめんなさい」と言って、その日以降30日間私はずっと家に居ました。父に向かって反論することはありませんでした。私は家族のルールを理解していたんです。
日付: 2001年5月31日
場所: 米国、カリフォルニア州
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター