ディスカバー・ニッケイ

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子供時代について(英語)

(英語)私は小学校も中学校もとても多様性に富んだ学校に通っていたので、自分がよそ者だと感じたことは本当にありませんでした。みんなそれぞれ違っていたからです。みんなに違いがあるのは何も特別なことじゃない、という感じでした。

日本から来たばかりの人たちとも頻繁に交流する機会がありました。私の母が働いていたオフィスには日本出身の人たちがたくさん来ていました。

個々のアイデンティティの違いを本当に理解できたのは大学生になってからでした。それまでは、一緒に遊んでいる友人たちにはいろんな人たちがいるな、というくらいでした。でも大学ではより多くを学び・・・強制収容所についても初めて実際に知りました。スパムムスビやチリライスも初めて知りました。異なるアイデンティティや人々について学ぶことは、私にとってまったく新しい教育のようでした。

若い頃沖縄へ行き、米国各地、世界中から来た沖縄系日系人と出会ったことで、共通点があれば私たちは今でもひとつのコミュニティであり、家族だと感じられるようになりました。


コミュニティ 世代 移住 (immigration) 日系アメリカ人 沖縄県系 戦後 新二世 アメリカ合衆国 第二次世界大戦

日付: 2018年8月30日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: シャーロン・ヤマト

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

(日本語)カリフォルニア州ガーデナ育ち。両親は、ペルーの日系および沖縄系コミュニティで育ち、後に米国へ移住したリマ出身の移民。こうした多様な背景を持つヤマシロさんは、これまでさまざまな文化的伝統が混ざり合う環境に触れてきた。北米沖縄県人会に所属し、沖縄とペルーを訪れた経験がある。教員免許を取得したが、ガーデナバレー日系文化センター(GVJCI)での活動機会を得て、非営利の仕事に転向し、GVJCIおよび北米沖縄県人会でボランティア活動をしている。(2018年8月)

カイ・フクモト

多文化の視野(英語)

三世の和太鼓奏者。マウイ太鼓のリーダー(1960年生)

ドリス・モロミサト

沖縄系の顔をした日本人移民(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

沖縄の特異性(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

親善大使(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

フェミニスト、エコロジスト、仏教徒・・・アクティビスト(スペイン語)

詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ヘンリー・須藤

マイノットの日本人 (英語)

日本帝国軍とアメリカ軍両方へ従軍(1928-2008)

小西紀郎

ペルーにおける一世の受け入れられ方

ペルーの日本料理レストラン経営者・シェフ (1962年生)

阪根 博

フジモリ元大統領の選出をサポートしなかった日系コミュニティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領にみる戦前と現代のペルー社会の違い

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

ペルーの一般大衆に選ばれたフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日系コミュニティがみるフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

田岡 功

日本の若者に対して感じること

パラグアイ駐日大使(1943年生)

田岡 功

一世に残された大きな役割

パラグアイ駐日大使(1943年生)

恩智 敏子 エレナ

大和市国際化協会のボランティアスタッフになったきっかけ(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

社会統合を促進するさまざまな参加方法(スペイン語)

在日日系ペルー人