(英語)1980年代のペルー経済は、今ほど良くありませんでした。私の両親は結婚して子供を持ち、家庭を築こうとしていました。外国から移民として移住し、自分の力で身を立て、家やあらゆるものを手に入れようとしていた人々にとって、”アメリカンドリーム”はリアリティのある考え方でした。一方、1980、90年代のペルー国民にとって、政府は安全な存在ではありませんでした。私の両親はカリフォルニア州ロサンゼルスを目指し、米国への移住を決めました。
ガーデナやトーランス、サウスベイには大きな(日系ペルー人)コミュニティがあり、その中には私の親せきもたくさんいます。両親の移住後、叔父や叔母たちもみんな米国に来ました。コミュニティの仕事や活動を通して出会ったたくさんの人たちに、「実は私の家族もペルー出身だよ」とか、アルゼンチンやブラジル出身だという話を聞くことができたのは、とても素晴らしいことでした。そうした背景を持つたくさんの人たちと知り合うことができたのは興味深いことです。
日付: 2018年8月30日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: シャーロン・ヤマト
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター