フジモリ元大統領にみる戦前と現代のペルー社会の違い

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私も、まさか大統領にペルーの国民が選ぶだろうということは夢にも思っていなかったんですね。最初の一期目は、非常にあの、予想を裏切って良い政治というか、強権ですけれども、ペルーを、あの超インフレの、本当に地獄から救いだした英雄。しかもテロしょうけつ(終結)を極めた、テロの撲滅にも非常に大きな力を発揮した大統領として、その名大統領としてですね、最初の一期は、称えられてたわけですから、その意味では、日系人の人たちにとって、非常にうれしい誤算だったかもわかりません。

ただ、2期目、3期目になってくると、ペルーの政治がいつも起こるパターンで、いろんな腐敗の問題とか、フジモリ大統領が直接関わっていなかったとしてもですね、やはり監督責任というものは、大統領としては取らなければいけないわけで。ま、ご存知のような悲劇的な終わり方をしてしまったんですね。 でもその時に、やはり日系人の人たちは、やはりなと、恐れていたことが起こったということなんですが、そこが戦前とちがって、ペルーの社会も成熟していたのか、あるいはフジモリさんという大統領のキャラクターを、ペルーの人たちはもう見抜いていたのかもわかりませんけども、日系人の子孫の一人としてのフジモリさんというよりも、フジモリ大統領という特別なキャラクターの人が、たまたま日系人の出身だと、日系社会の出身だということで認識していたようなので、フジモリさんがああいう終わり方をされていても、日系人に対するペルーの社会における信頼度とか、あるいはそういう無用なバッシングというものは一切起こらなかった。ということは、やはりこう特質に値すべきことだと思いますね。えぇ。それは僕もうれしい。えー、読みきれなかったところ。

日付: 2007年5月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

Alberto Fujimori community peru politics

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