(英語)米国に比べてペルーの何が魅力だったのかはわかりませんが、サトウキビ農場を目指してたくさんの人々が渡ったハワイ同様、ペルーにも多くの農場の仕事があったのだと思います。大勢の移民がブラジルに渡ったのもサトウキビがあったからです。ペルーにはさまざまな農場の他に小規模ビジネスもあり、洗濯屋などを営む人々も大勢いました。アラカキ家の曽祖父が渡航した頃には、少なくともコミュニティができ始めるころで、彼はコミュニティの一員となって教育制度に貢献するなどしたのでしょう。
日付: 2018年8月30日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: シャーロン・ヤマト
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター