たわし工場労働者から洋服の仕立て屋へ

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普通の人たちはみんな農業と言うことで、内陸部の方へ行くんですけど、我々はそのしむたかつみとしむたことの呼び寄せで行ったので、農業をする必要が無くてですね、最初からサンパウロで住んだわけですよ。

そのしむた夫妻は小さなたわしを作る工場を、経営していたんですね。そこでの労働力を確保したいために、我々を呼んだんだろうと思うんですが、まぁどう考えてみても、やっぱり戦前からずっといる人たちと、戦後行った我々と、やっぱり考え方が全然合わないですね。

それでそこにそうですね、どの位いたんだろうな、一年半か二年位いまして、それで私の父は洋服の仕立屋をやっていたんですね。ですから、日本で。若いころからずっとそれやってて。それで、手に仕事が、職があったから、そこを飛び出しても何とかやっていけたということなんですね。

日付: 2019年9月19日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

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