ディスカバー・ニッケイ

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移住当初も若干残っていた勝ち組

私がその移住した1954年っていうのは、ちょうどサンパウロ市の創立400年祭ってのがあってですね、我々が1月26日、1月16日に着いたんですけど、1月の25日がサンパウロの創立記念日で、私はまだ5歳で全然覚えてないですけど、まあ盛大なお祭りがあったわけです。

しかしながらその頃まだ、桜組廷臣隊と言う団体が残っててですね、彼らは、日本は戦争に勝ったんだけども、戦争の結果、まだまだ再建の道が険しいので、自分たちを国費で帰国させろというような、運動ですね、あのサンパウロのプラサ・デ・セから総領事館があるとこまでデモ行進したりしてね。その写真はあの移民資料館にも残ってますけど。まあそういうまだ、いわゆる勝ち組と言う人が戦争が終わってからまだ10年経っても未だ若干いたということですね。


ブラジル 勝ち組 戦後 桜組廷臣隊 第二次世界大戦

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

赤間みちへ

ブラジル移民の目的

一世。ブラジル女性教育の先駆者

赤間みちへ

ブラジルに日本様式の女学校を開校

一世。ブラジル女性教育の先駆者

セリア・オオイ

日本人の祖先を持つブラジル人 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人イメージに対する日本の影響 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

日系ブラジル人アイデンティティの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

サンパウロに集中する日系コミュニティ (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

セリア・オオイ

新世代のライフスタイルの変化 (ポルトガル語)

ブラジル日本移民史料館館長

堀切 エドワード・徹

ボーディングハウスと一世

帰米二世(1929年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

アメリカへの移住して良かったこと

戦争花嫁(1925年生)

キャロウェイ・久松 照美

サンフランシスコで受けた差別

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

ウィリー・イトウ

戦後の父の理容院(英語)

第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

大泉とブラジルの日系コミュニティとの違い

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。

アントニオ・シンキチ・シコタ

ブラジルで育ち、日本語にあまり関心がなかった (ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

日本に移住した理由(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)