真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

日本語とハワイ語によるハワイの耕地での伝統的な労働歌(ほれほれ節) 日本が恋しくて泣いた日々 大変だったプランテーションでの仕事 一日中子供を預けて仕事 真珠湾攻撃後のプランテーションの対応

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

なんて言っていいかわからんよに、悲しかったですよね。でもプランテーションがよーくしてくださったから。毎日あの、マスクでも皆私らにくれてからね。そして毎朝仕事に、集まるとこに行ってからね、そしてプランテーションの人が、ボーシ(ボス)が外人にだけこう書いたの渡すんですよね。そして私らも日本人だからくれられんのか思ってから、その人に問うてみたんですよ。そしたら、この日本人は日本におる人と違う皆いい日本人だから、この人たちに何も悪いことを言っちゃはいけないって書いておるんだってね。それでもうありがたいんでからね。さっきのうちはどうして私ら日本人だからあんなんされる思っとったんですよ。そうじゃなかったの。

日付: 1991年6・7月
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ロバート・ナカムラ、カレン・イシズカ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

hawaii immigrants issei Pearl Harbor plantation

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