ディスカバー・ニッケイ

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子供の頃から父の通訳を務める

いやぁ、全然だめですね。だから(父は)50年間ブラジルに住んでまともなポルトガル語がしゃべれないで、死んでいきましたけど。結局私が5歳ですね。それでまぁ、言葉すぐ覚えるから、早速通訳をさせられてですね。もう6、7歳から通訳をさせられたわけで。

父はだからそのなんて言いますか、たわし工場を出てから、日本人のところを回って洋服の注文を取って、それで家の中でそれを縫ってですね、届けると。そうすると、生地を買ったり、付属品を買ったり、それからできたものを届けたりというようなことは、やるわけですが、結局その朝市に行ったってですね、日系人の人ばっかりだからですね、別にポルトガル語できなくたって食料品買うことはできるし。それから生地とか付属品とかはそういうものはポルトガル語しゃべらないといけないから、私を連れて行って通訳をさせたりとかですね。

サンパウロに住んでいるとやっぱり言葉を覚える必要がなかったということはありますね。


通訳 言語 言語学者

日付: 2019年9月19日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年長野県に生まれた二宮正人氏は、5歳の時一家でブラジルへ移住。 現在は、サンパウロに法律事務所を構え、サンパウロ大学法学部にて博士教授を務める傍ら、明治大学の学長特任補佐、武蔵野大学法学部客員教授を務める。 1992年の創設時よりCIATE-国外就労者情報援護センターの理事長、日本学術振興会(JSPS) 中南米アドバイザー、国際協力機構 (JICA)の委員なども兼任している。 また、ブラジルニッケイコミュニティリーダーとしても一目置かれており、ブラジル人のデカセギの労働状況の改善や、日系人子弟の教育など、様々な活動をサポートしている。(2021年5月)

ミツオ・イトウ

広島で英国軍に従事(英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

ビル・ハシズメ

カナダ人ゆえに解雇(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

スミコ・コザワ

英語を覚える (英語)

花屋 (1916-2016年)

キャロウェイ・久松 照美

子どもと日本語

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

パウロ・イサム・ヒラノ

日本語の理解を深めるにつれ、日本社会に受け入れられる

(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。