移住船内での生活について

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

  • ja

船の中のことはよく覚えてますね。運動会があったり、学芸会みたいのがあったり。学校みたいのがあったり、みんなで歌を歌ったり。まだ私は5歳ですからね。まだ小学校行ってないから、そういう幼稚園的なことで、みんなで歌ったり、走り回ったりということしか覚えてなくて。

それから、やっぱり船の中の食事っていうのは、非常にこう何ていうんですかね、量がたくさんあって、食べきれなかったとかですね。昭和28年の日本の食生活は非常に貧しいんだけど、船の中だと三度三度ごちそう的なものが出てきて。うちの母は妊娠してて船酔いであんまり食べられなかったけど、栄養というか、そういう船の中の食事は非常に豊かだったように記憶してる。

ロサンゼルスに船が着いたときは、戦争直後だから、日本人は一切上陸させてもらえなかったですね。私はしかし5歳だから、船員さんにくっついてちょこちょこっと降りて行って、私だけがその、アメリカの、なんていうんですかね、土地に足を踏んだわけですね。さんざん怒られたわけですけど、そのことも覚えていますね。

日付: 2019年9月19日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: 西村 陽子
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

Brazil migrations ship

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団