(英語) (収容所生活も)終わりごろ、祖母の死に際が近かったの。よくわからないけど、病後療養所のようなところで、祖父もそこにいました。男性と女性の部屋が別々にあったけれど、祖父は気にしてなくて、祖母とよくそこの広間にいたわ。祖母は水を飲みたがってても、誰からも水を与えてもらえないので、祖父が代わりにあげていたの。
なんとか母がリアリー神父に連絡を取ったの。もう数週間が経っていたかしら。ようやく祖母をマンザナに帰すことができたの。戻ったのは夜中で、そのときには、祖母は今にも死んでしまいそうな様子だったわ。病院に連れて行って、祖母は目を何度か開いたけど、それだけだった。
それから看護婦のアキタさんが、祖母の身体の向きを変えら、床擦れの跡が見えたわ。背中や、お尻の部分に。恐ろしい跡だった。そしてアキタさんは、首を横に振って、「なんてこと。全く世話をしてもらっていなかったのね」と言ったの。彼女は大きなドーナツ型のクッションで対処してくれたけど、祖母は朝に亡くなってしまった。痛みを感じるだけだったわ。
日付: 2011年5月24日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター