真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 「パール・ハーバー」という言葉を覚えています。(真珠湾攻撃が起きる前は)それが何かを知りませんでしたからね。子供の頃の自分に戻ってあの時の事を考えてみると、とにかくものすごく混乱したのと、父が何処にいってしまったのかと不安で一杯だったことを思い出します。今考えてみてもぞっとします。私たちはとても仲の良い家族で、それこそ家族が全てだったんです。そしてその中心が父でした。それなのに、その父が突然どこかに連れて行かれてしまたんですから、それは怖くて不安でたまりませんでした。父はものすごく強い人で、物をはっきり言うタイプでした。英語もすごく上手で、イギリスアクセントで話したんですよ。(当時)日本ではイギリス英語を教えていて、父はその日本で英語の教育をうけましたからね。誇り高き人で、一緒にいるだけで安心できたんです。それなのにその父が突然いなくなってしまったんですから。

日付: 2005年12月27日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

family Pearl Harbor World War II

最新情報を入手

最新情報メールの配信登録

Journal feed
Events feed
Comments feed

プロジェクトをサポート

ディスカバー・ニッケイ

ディスカバー・ニッケイは、互いにネットワークを広げ、日系の体験談を分かち合う場です。プロジェクトを継続し、より良いものにしていくためには、皆さまのご協力が不可欠です。ご支援お願いします!

サポートの方法>>

プロジェクト企画 全米日系人博物館


主な援助
日本財団