ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1626/

餅つきの伝統(英語)

(英語)戦争直後、人々には住む場所がありませんでした。親戚がうちの納屋や地下、寝室に住み、小さなコミュニティができました。およそ7家族が農場で一緒に暮らし、もちろん餅つきもやりました。始めたのは1945年です。日本から来た従兄妹がやり方を知っていて、父がそれにならい毎年欠かさず餅つきをしました。自分たちの餅つきでした。

今も続いていますよ。若い世代は餅つきに日本らしさを感じているわけではないので精神性は失われましたが、オープンハウス形式でやっています。残念なのは米をつく精神性や、米やせいろの神聖さ、神棚に餅を供える精神を失ってしまったことです。そういったたくさんのことが失われました。今でも餅つきの作業行程は実行しています。そんなところですね。今でも頑固に続けていますよ。


コミュニティ 餅つき 伝統

日付: 2018年3月22日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1935年6月29日、カリフォルニア州サリナス生まれ。父親は戦前から農業ビジネスを共同経営し、戦時中アリゾナ州ポストンに強制収容されていた間も電話や電報を利用し、ビジネスパートナーに助けられながらビジネスを続けた。ポストンから戻った一家はカリフォルニア州ロス・ガトスに移住し、農業ビジネスを継続した。トムはサンタクララ大学に進学し、米軍に入隊後、軍需品担当将校としてフランスに駐留した。ユキ・ファームのマネージメントパートナーの仕事をトムに継がせるつもりだった父親は亡くなり、その時トムは企業の契約管理者の仕事をしていた。トムは、全米日系人博物館での理事など、これまで多くの団体で役員を務めてきた。(2018年12月)

小西紀郎

ペルーにおける一世の受け入れられ方

ペルーの日本料理レストラン経営者・シェフ (1962年生)

阪根 博

フジモリ元大統領の選出をサポートしなかった日系コミュニティ

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

フジモリ元大統領にみる戦前と現代のペルー社会の違い

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

ペルーの一般大衆に選ばれたフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

阪根 博

日系コミュニティがみるフジモリ元大統領

天野博物館事務局長(1948年生)

関利彦

日本の文化としてアメリカで寿司を握る

寿司職人(1962年生)

田岡 功

日本の若者に対して感じること

パラグアイ駐日大使(1943年生)

田岡 功

一世に残された大きな役割

パラグアイ駐日大使(1943年生)

恩智 敏子 エレナ

大和市国際化協会のボランティアスタッフになったきっかけ(スペイン語)

在日日系ペルー人

恩智 敏子 エレナ

社会統合を促進するさまざまな参加方法(スペイン語)

在日日系ペルー人

ノーマン・ヨシオ・ミネタ

政界入りのきっかけ(英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

ノーマン・ヨシオ・ミネタ

市民参加 (英語)

アメリカ合衆国元運輸長官(1931年生)

キャサリン・ドイ・トッド

リトル東京で法律事務所を開業(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

JABA: 学生とコミュニティの繋がり(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)

キャサリン・ドイ・トッド

日米文化会館との関わり(英語)

アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)