(英語)戦争直後、人々には住む場所がありませんでした。親戚がうちの納屋や地下、寝室に住み、小さなコミュニティができました。およそ7家族が農場で一緒に暮らし、もちろん餅つきもやりました。始めたのは1945年です。日本から来た従兄妹がやり方を知っていて、父がそれにならい毎年欠かさず餅つきをしました。自分たちの餅つきでした。
今も続いていますよ。若い世代は餅つきに日本らしさを感じているわけではないので精神性は失われましたが、オープンハウス形式でやっています。残念なのは米をつく精神性や、米やせいろの神聖さ、神棚に餅を供える精神を失ってしまったことです。そういったたくさんのことが失われました。今でも餅つきの作業行程は実行しています。そんなところですね。今でも頑固に続けていますよ。
日付: 2018年3月22日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター