ディスカバー・ニッケイ

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アメリカへ移住することへの葛藤

えぇ、いろいろすごい葛藤がありましたね。私はこれ大間違いしてるんじゃないのかしらと思って。ただ浮かれてアメリカに行くっていうので、あこがれてひょろひょろとこっち来たわけじゃないんです。私これで人生踏み間違えたのじゃないかしら。私は日本にいて、この家に、日本に残るべきじゃないのかしらと思って・・・その時にまだ、私が藤沢にいる頃でしたけど。だからおいそれと心よく浮かれて来たわけじゃないんです。

だから私がアメリカに来てからすぐ、皆から「アメリカに来てよかったわね。」「アメリカに来るチャンスがあってよかったわね。」だけど私その時にその、大手を広げて本当にそうだったとは言えなかったんです。自分で本当に自分の将来を間違っているのかしらって、それがいつでも頭の中にあったです。でも彼は実直そのものでしたから、彼一人が頼りだったし。

ちょうど戦争のね、1950・・・50年頃でしたね。あのときにアメリカの映画でね、「Going May Way」という映画があったんです。その映画のタイトルが好きで、自分の道、「わが道を行く」っていうんですよね。それに励まされて、私はアメリカに来たんです。我が道を行く。


花嫁 アイデンティティ 国際結婚 アメリカ合衆国 戦争花嫁 妻たち

日付: 2012年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジーン・玻満子・シュナイダー(旧姓:天野)さんは、1925年、横浜に生まれる。1933年、ラテンアメリカでビジネスをする父芳太郎に連れられパナマで2年間過ごした。パナマへ残った父は、1942年に捕虜交換船によって日本へ戻ってきた。戦後、ラジオ局に勤めていた玻満子さんは、MISの一員として日本へ駐屯していたハリー・シュナイダーさんに出会う。1948年、日本でハリーさんと結婚し、1950年に戦争花嫁としてアメリカに渡る。その後、一女をさずかり、早いうちにアメリカの市民権も取得した。現在は、カリフォルニア州エンシニータスに在住している。(2014年9月)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

キャロウェイ・久松 照美

姉妹4人が国際結婚

横浜出身の戦争花嫁(1937年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)