(スペイン語) そうですね。私の場合だと例えば、アルゼンチンでは、特に二世はそうなんですが、アイデンティティをいつも話題にしてきました。「私たちは何なのか?」「私たちは誰なのか?」日本人でもあるし、アルゼンチン人でもある。通常、日系人は、一般的に、自分がどこに向かっているのかよくわかってなく、こうしたアイデンティティクライシスを若い頃に経験しています。
私は運がよく、アルゼンチン社会に住んでいたんですが、日本人も多くいたし、アルゼンチン人もそういう日本人を受け入れてくれるところだったんです。他の日系人が感じるであろう違いや差別といったものを感じることはありませんでした。そういう意味では、恵まれていると思います。他の人が味わったような嫌な経験というのがなかったんですから。
でも、同じ世代で、私のような人たちは、誰もがうまくいっていたわけではないのも知っています。だから、日本に行って、そちらのほうが好きだったのか、生まれ故郷のアルゼンチンよりも居心地が良いと感じる人もいます。私はというと、アルゼンチンは居心地がいいし、よりアルゼンチン人らしいんでしょうね。日本にいると、時々、外国人だと感じることがあるし、日本人だと感じることもあります。でも、自分は日本人の血を引いていて、多少なりとも日本のバックグラウンドを持っているアルゼンチン人なんだと自覚しています。
日付: 2005年10月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アン・カネコ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター