ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1429/

アメリカへ移住することへの葛藤

えぇ、いろいろすごい葛藤がありましたね。私はこれ大間違いしてるんじゃないのかしらと思って。ただ浮かれてアメリカに行くっていうので、あこがれてひょろひょろとこっち来たわけじゃないんです。私これで人生踏み間違えたのじゃないかしら。私は日本にいて、この家に、日本に残るべきじゃないのかしらと思って・・・その時にまだ、私が藤沢にいる頃でしたけど。だからおいそれと心よく浮かれて来たわけじゃないんです。

だから私がアメリカに来てからすぐ、皆から「アメリカに来てよかったわね。」「アメリカに来るチャンスがあってよかったわね。」だけど私その時にその、大手を広げて本当にそうだったとは言えなかったんです。自分で本当に自分の将来を間違っているのかしらって、それがいつでも頭の中にあったです。でも彼は実直そのものでしたから、彼一人が頼りだったし。

ちょうど戦争のね、1950・・・50年頃でしたね。あのときにアメリカの映画でね、「Going May Way」という映画があったんです。その映画のタイトルが好きで、自分の道、「わが道を行く」っていうんですよね。それに励まされて、私はアメリカに来たんです。我が道を行く。


花嫁 アイデンティティ 国際結婚 アメリカ合衆国 戦争花嫁 妻たち

日付: 2012年1月26日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ジョン・エサキ、西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ジーン・玻満子・シュナイダー(旧姓:天野)さんは、1925年、横浜に生まれる。1933年、ラテンアメリカでビジネスをする父芳太郎に連れられパナマで2年間過ごした。パナマへ残った父は、1942年に捕虜交換船によって日本へ戻ってきた。戦後、ラジオ局に勤めていた玻満子さんは、MISの一員として日本へ駐屯していたハリー・シュナイダーさんに出会う。1948年、日本でハリーさんと結婚し、1950年に戦争花嫁としてアメリカに渡る。その後、一女をさずかり、早いうちにアメリカの市民権も取得した。現在は、カリフォルニア州エンシニータスに在住している。(2014年9月)

モニカ・タイシャ―

ニッケイの定義(英語)

米国在住の日系コロンビア人(1974年生)

ミア・ヤマモト

高校における黒人差別の理解

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

サブリナ・シズエ・マケナ

カミングアウトが家族に与えた影響

(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。