ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1136/

研究のためにビジネスに力を入れた天野芳太郎

コスタリカでは、あの、焼津で作った船を、天野丸という船を使って、そこで漁業をやっておりました。それから、エクアドルではキニーネの製糖工場をやってました。それからペルーでは、その当時は、東証してましたんで金融業。それから、ボリビアでは植林。チリでは農場を経営して。あと、満州にも投資したということで。 まぁ、自分としては、これはどう転んでも一生、ショート、まぁ、短期、中期、長期の戦略を立てて、全部、職種も全部変わって。えー、短期でお金が回転する仕事、中期で回転すること。植林とか農場のほうは、長期的な見地に立って、ま、こうお金が回転する。どう転んで行って・・・各国にお金が分散して、満州にも投資してるわけですから、どう転んでも、自分は一生、食べていけるだろうという財産を作って、いよいよ本来の自分が目的だった、その勉強の道へと進むんですね。 あのー、もともとは学者になりたかった。本人も言ってましたけど、方言学者になりたかった。要するに、何か研究することが好きな人で、本来はその実業の人ではなかったんですがね。


ボリビア ビジネス コスタリカ 経済学 エクアドル 経営 戦前 第二次世界大戦 天野芳太郎

日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

天野美代子

天野芳太郎との出会い

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎のマグロ漁船

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

チャンカイ文化に魅せられた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

マサカツ・ハイメ・アシミネ・オオシロ

日系人であること:二重の責任感 (スペイン語)

ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)

ハルノリ・オダ

アメリカ生活の始まり(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

園芸ビジネスを学ぶ(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

造園業から園芸場経営へ(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

事業の拡大(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

次の段階(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ハルノリ・オダ

人生哲学(英語)

新一世実業家 (1927-2016年)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)

ジミー・コウ・フクハラ

家族経営の種苗会社(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

ジミー・コウ・フクハラ

除隊と種苗業の再開(英語)

日系二世、連合国軍占領下の日本に駐留した退役軍人(1921年生)

大友 八郎

ミズーリ州でのビジネス

溶接業を営む新一世(1936年生)

アントニオ・シンキチ・シコタ

東日本大震災後、仙台や福島での仕事が中止(ポルトガル語)

日本でブラジルの商品店を営む日系ブラジル人(1962年生)