ディスカバー・ニッケイ

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チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎

なぜ天野がそのチャンカイという文化を選んだかというと、偶然ですね、あの天野が、自分の休みの時にドライブをして、そのチャンカイという谷に入った時に、あるところで、そのチャンカイから掘り出された土器とかおびただしいその織物を、目にするんですね。 で、特に天野は日本人ですから、やっぱりヨーロッパの人たちよりもですね、織物っていうか、着るものに非常に関心があって、ま、天野の個人的な資質かもわかりませんけれども、そういうその織物のすばらしさに、非常に驚くんですね。

で、そのチャンカイの文化というものを、じゃあ調べてみると、意外なことに、本格的にチャンカイを研究している学者というのが、その当時ほとんどいない。ま、もっと極端なことを言うと、一人、二人の例外を除いては、全くあのチャンカイというものに関心を持たれていないということが分かったんです。 で、あの他の人がもうやっているとすれば、勉強してるとすれば、もう後塵を拝することになるわけですけれども、えー、天野は誰も本格的にそのチャンカイというものを勉強する人がいない。あるいはコレクションをしている人がいない。で、その比較的リマからアクセスのいいところなので、これぞその自分が天から与えられた、その大きなテーマだというふうに、彼は感じるんですね。 で、チャンカイという文化は、全くその当時のペルーのアカデミズムの中では、無視されていたその一地方文化を、それ以降、彼が死ぬまでの、その30年近くにわたってですね、研究に没頭し、その後の集大成がうちの天野博物館ということになるわけですが。


ペルー 南アメリカのインディアン 天野芳太郎 チャンカイ文化 考古学

日付: 2007年5月7日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 西村 陽子

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1948年生まれ。東京出身。早稲田大学教育学部卒業。数年後、ペルーリマ市へ移住。スペイン語を学ぶかたわら、天野博物館を創設・経営していた祖父の天野芳太郎氏の仕事を手伝う。その後、日系ペルー人2世と結婚。現在は、ペルーの文化研究家、土器・織物の収集・研究家、天野博物館の事務局長として発掘作業、博物館の運営に携わる。また、ペルーの民間外交官として、政府要人、経済人、マスコミ取材、TV番組制作などのアテンドも行っている。年に数回は日本を訪れ、全国各地で講演やパネルディスカッションを行うなど、広い分野において活動を行っている。(2007年5月)

天野美代子

捕虜交換船で強制帰国させられた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

戦後、南米へ密入国を試みた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

歴史好きだった天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎の日本でのビジネス

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎との出会い

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

天野芳太郎のマグロ漁船

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

チャンカイ文化に魅せられた天野芳太郎

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

日本語をより学ぶことになったきっかけ

天野博物館館長 (1929年生)

天野美代子

日本語とスペイン語両方を使って生活

天野博物館館長 (1929年生)

ジーン・玻満子・シュナイダー

捕虜交換船で戻ってきた父

戦争花嫁(1925年生)