ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/607/

多文化に触れて(英語)

(英語) ある意味では僕の家族はとても日本的でしたね。僕らは宗教を持たずに育てられましたし。僕の両親、特に母は宗教に関してはとても堅い考えを持っていて、「自分の周囲をよく見ていなさい」と言っていたんですね。それで僕は、宗教というのは学習していくもので、人の中に自然と湧き上がるものではないんだな、ということを母から学んだんです。モラル的な感覚は母から教え込まれましたが、母が1つの宗教を僕に押し付けることはありませんでした。東部のかなり保守的な土地で育ったので、友達からの影響というものはありましたが、同時に多様性のある環境でもありました。中学生の頃、バンドをやっていて、そのメンバーは僕とユダヤ系のキーボード奏者、ギターはローマカトリック教徒で、黒人のバプテストがドラマー、そしてハワイ系のベーシストが居たんです。だから多文化であることが流行る前に僕らのメンバーは多文化だったんですよ。ある週末にはユダヤ教の礼拝堂で演奏して、次の週末には教会、そしてそのまた次はバプテスト教会、といった具合でしたね。


Finding Home(映画) 多文化主義 (multiculturalism) 多人種からなる人々 宗教

日付: 2003年9月12日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

2世の母と3世の父を持つビンス・オオタは、ニューハンプシャー州に生まれました。オオタ一家はロサンゼルス、ニューヨーク、ミネアポリス、ロンドンと転々とした後、メリーランド州ゲイザースバーグに落ち着きました。メリーランド州の小さな町で育ったため、アジア系アメリカ人との交流は少なく、夏にロサンゼルスにいる親戚と過ごすくらいで、自分の環境をアメリカの『純粋な白人』のものであったと述べていました。その後、西海岸へ移り、コミュニティカレッジへ入学。その後はCalifornia Institute of the Arts(カリフォルニア芸術大学)へ進学しました。ロサンゼルスで7年間クリエイティブデザイナーとして働いた後、1996年に渡日しました。以来日本に住む彼は、インタビュー当時、クリエイティブデザイナーとして活躍しており、今後の日本在住意思を示していました。(2003年9月12日)

外間良広

ペロンに洗礼

沖縄出身、一世アルゼンチン人 (1917年生)

木下正夫

宗教心へのきっかけ

負け組みの主要メンバー

セドリック・シモ

両国の架け橋となることを目指して(英語)

第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)

BJ・コバヤシ

二つの文化のもとに育って(英語)

ハワイのビジネスマン、開発者

キップ・フルベック

『あなたは何ですか?』の質問に答えることの難しさ(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

キップ・フルベック

自分にとって最も重要なアイデンティティ-「ハパ」(英語)

映画製作者・アーティスト(1965年生)

チャド・モートン

混血の利点 (英語)

プロアメリカンフットボール選手。(1977年生)

エリック・モートン

混血のアイデンティティの難しさ(英語)

ダートマス大学の元ワイド・レシーバー。現在は弁理士として活躍。ジョニー、エリック・モートンの兄弟。

ボブ・キヨシ・オカサキ

バンドエイドで悟ったこと(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

竹下幸男

JACLとの関わり(英語)

「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)

山野愛子ジェーン

文化的適応(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

山野愛子ジェーン

外国人慣れしてきた日本人(英語)

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

ウェイン・ヨコヤマ

唯一の日本文化:食べ物(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

エンセン・井上

日系アメリカ人家庭に育つ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)

エンセン・井上

渡日の理由(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)