https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/551/
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
(英語) 僕らの雅楽グループが東儀さんに指導を受けていた頃、だいぶ上達し、オリンピックの会場で演奏するよう依頼されたんです。僕らが外で演奏していると、日本から来た男性が僕らのことを見ていて、彼は僕らが雅楽を演奏しているのを見て日本人だと思ったんです。それで彼は近づいてきて、メンバーの一人であるロニーに何か言ったんです。でもロニーは日本語を話さないので、「何ですか?」と(英語で)言ったんです。すると彼は(英語で)「アメリカ人なの?」と聞いたので、ロニーは「そうだよ」と返事したんです。男性は「(アメリカ人の)あなたたちに雅楽の演奏はできるはずがない!」と言うので、ロニーは「たった今演奏しましたよ。」と答えたんです。すると、彼は「いやぁ、違うんだよ。雅楽は日本人の魂の音楽だから、日本から来た人間でなければね」と、こう言うんです。それでロニーは彼の方に身を乗り出して、「僕らがたった今演奏した曲を知ってますか?曲名を言えますか?」と聞き返したんです。もちろん彼は知りませんでした。だからロニーは、「失せろ」と言ったんです。
あれは、三世が初めて、「これは自分の音楽で、どういう音楽なのか僕には分かっている。僕が生まれた土地が違うからといって、他の人にこの音楽のことをとやかく言われる必要はない」と主張した大切な瞬間でしたね。そしてこの出来事は僕らのグループにとっても、すごく重要な瞬間だったんです。そしてみんな同じように感じていたんです。この世代は、「僕らが誰であれ、これが自分なんだ。そして自分が生まれた場所くらいのことで、臆することはもうないんだ」といってるんですよ。でも、僕らの雅楽は(日本人のとは)違うんです。ぼくらが日本に行っても、こうだろう、という期待はしません。日本では全く違ものを期待してるんです。
日付: 2004年12月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。
コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)
家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)
演歌歌手(1981年生)
日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)
プロの舞踊家として最善を尽くす(英語)
日本へ行くこと(英語)
アメリカ人になろうとした結果(英語)
研究者、活動家(1924-2018年)
歌詞の意味を伝えたい(英語)
ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
伝統からの脱却(英語)
東海岸とロサンゼルスの違い(英語)
在日日系アメリカ人デザイナー
アメリカで太鼓を始めた理由(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
タイア道場(英語)
日本の音楽教育(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
MISで出会った本土からの日系人(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)