田中先生と緊那羅太鼓の「太鼓」に対する考え方の違い(英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 田中先生が来たんです。僕らの太鼓のことを聞きつけて、太鼓はどうあるべきかを教えに来たんです。今では仲良くやってますけど、当時の僕らの関係は、ぎこちなかったですよ。田中先生は、「君達はそれを太鼓と呼ぶべきじゃない。それはドラムだ」って言うんです。だから僕らは「僕らが呼びたいように呼ぶ」ってね。田中先生は侍の伝統に則った、厳しい鍛錬が求められる道場の人間なんです。でも僕らの寺は百姓のもので、僕らは農民だったし、彼のとは全くの別物なんですよ。だから僕らは彼に、「僕らは走ったり運動したりしないし、もしあなたがばちで僕らを叩けば、別のばちであなたを叩き返しますよ。」と言ったんです。結局、最初の出会いは物別れで終わったんですけど、時が経つにつれ、だんだん共通点が出てきて、今では先生とはいい関係にあります。

でも初めの頃の態度は、全く違いました。今でもその違いはありますよ。その多きなものとしては、仏教が彼らの宗教ではないことなんです。僕らにとって、仏教は信仰なんです。そして、太鼓は僕の人生の全てではありません。僕らが思うに、もし太鼓が人生の全てだというなであれば、何か他のことも得なければいけないと思うんです。太鼓は、僕らがお寺ですることのうちの1つなんです。餅つきがそのひとつであるようにね。お寺では餅つきをする人もいれば、太鼓を叩く人だっている。それだけのことなんです。僕らにとって太鼓とはそれだけのものなんです。僕たち三世は、太鼓を叩いて育ち、そうすることで成長してきたんです。太鼓とはそういうもので、それ以上のものではないんですよ。

日付: 2004年12月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン、ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

kinnara taiko

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