ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

山野 愛子 ジェーン

日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)

文化的適応(英語)

(英語) 日本に移住して、見た目は日本人でも日本語がしゃべれないということにとても違和感を覚えました。もし誰からも何も言われなければ何も感じなかったかもしれませんが、実際には怒られたり、変な目で見られたり…。色々と話しかけられても「I do not understand (わかりません!)」という感じだったのです。やっと日本語で「わかりません」という言葉を覚えても、周りの人達に「この子はバカなの?何か脳に問題でもあるのかしら?」という目で見られました。中には自分達のしていることを一生懸命教えてくれたり、私が疎外感を感じないように色々と説明してくれる人もいましたが、それはそれで申し訳なく感じてしまうのです。ですからみんなの会話をなるべく理解しようと努め、またわかったような振りをしていました。みんなが笑えば自分も笑う。実際には何を話しているのかわかっていませんでしたけどね。

日本に住んでいてもアメリカンスクールに通っていたので、日本人の友達がいない限りアメリカに住んでいるのと変わらないんです。ですからASIJ(アメリカン・スクール・イン・ジャパン)を経て上智大学を卒業後、この美容学校に入りビジネスを始めるまで、日本語は全く上達しませんでした。美容学校では、日本人の友達が私と話したいのにできない、私の方も彼らと話したいのに出来ないという状況で、お互いに絵を描いてコミュニケーションを取ったり、クラスメートで少し英語が話せる男性に通訳になってもらったりしました。そうこうするうちに友情が育まれ、また私の日本語も少し上達していきました。もちろん全部理解していたとはいえませんが。特に高校を卒業後は学校から家に帰ると頭が痛くなりました。みんなの話していることが半分もわからなかったからです。私はお話し好きで(びっくりしたでしょう?(笑))人といることが好きなので、友達と話ができない、彼らの言っていることがわからない、また自分の言いたい事が言えない、というのはものすごくフラストレーションのたまることでした。


Finding Home(映画) アイデンティティ 言語

日付: 2003年9月3日

場所: 日本、東京都

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

日本人の父と三世の母を持つ38歳の日系アメリカ人、山野愛子ジェーン氏はロサンゼルスで生まれ、12歳の時に両親と共に日本に移住しました。ロサンゼルスでは毎週土曜日に日本語学校へ通っていましたが、日本に移住したときは日本語がほとんど理解できませんでした。彼女は学校生活の大部分が英語で行われる東京のアメリカンスクールへ通い、上智大学を卒業。その後美容学校に通い、美容ビジネスの世界へ進んだのです。

現在、彼女は流暢に日本語を話すことができますが、読み・書きは苦手だそうです。また、日本社会では女性の地位はまだ低いけれど、美容学校の校長という彼女の立場は一般の女性と比べ社会的に権限のあるポジションだと述べています。ジェーンは彼女の父が戸籍に登録していたので日本の市民権を持っていますが、同時にアメリカの市民権も保持しています。いわゆる二重国籍です。現在(2003年)、ジェーンの在日経験は25年以上に及びます。(2003年9月3日)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

ビンス・オオタ

在日3年後に決めた日本永住の理由(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)