ディスカバー・ニッケイ

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ハワイ州最高裁判所で初のLGBTQ判事となる

白人の若者の約 77% が両親にカミングアウトしているのに対し、アジア太平洋系アメリカ人の若者の場合はその割合が 51% に過ぎないことを知りました。そしてその理由がわかりました。それは、アジア系アメリカ人、太平洋系アメリカ人の人口が必ずしも LGBTQ コミュニティを受け入れているわけではないからです。それにはさまざまな理由があると思います。主な理由の 1 つは、米国のアジア太平洋系アメリカ人の人口は、実際には第一世代、第二世代の割合がはるかに高い傾向があることです。

そして、ご存知のとおり、しばらく米国にいると、もちろん、場所によって文化的に物事が変わることもあります。しかし、これらの統計を知ったとき、私のような人間がもっとオープンになることがいかに重要かに気づきました。そして、2011 年 1 月 25 日に知事が記者会見を開いたとき、当時の私のパートナーと 3 人の子供たちが聴衆の中にいました。聴衆は非常に少なく、メディアがすべてそこにいました。

その後、あるメディアが知事の報道官に近づき、記録に残る形で話す気があるかと尋ねました。というのも、その記者が私のパートナーに「あなたは誰ですか?」と尋ねたところ、彼女は「ああ、私は彼女のパートナーです」と答えたからです。記者は「ああ、法律事務所のパートナー?」と聞き、彼女は「ああ、いいえ、パートナー、パートナー」と答えました。それでメディアは「おお、すごい」という感じでした。


アイデンティティ LGBTQ+ 人々

日付: 2022年7月14日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ラナ・コバヤシ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association

語り手のプロフィール

サブリナ・シズエ・マッケナは、1957年10月7日、日本人の母とアメリカ人の父のもと、東京で生まれました。日本人のハーフであるマッケナは、「日本人すぎる」または「白人すぎる」という感覚に悩まされていました。マッケナ判事の人生は、1972年にタイトルIXが可決されたときに劇的な影響を受けました。タイトルIXにより、マッケナはハワイ大学に通い、バスケットボールをプレーするための奨学金を受け取ることができました。大学在学中に、彼女は自分の性的指向を受け入れました。

マッケナさんは、自分の性的指向がキャリアを変えたかもしれないと考えている。法科大学院を卒業して法律事務所で働いた後、マッケナさんは法学教授になった。公職に立候補する代わりに、彼女は裁判官になった。しかし、マッケナさんの裁判官への道は平坦なものではなかった。2011年にハワイ州最高裁判所判事として現在の地位に任命された。マッケナ判事の物語は、LGBTQコミュニティのメンバーが成功し、有意義な人生を送ることができることを示している。(2022年10月)

*これは、日系アメリカ人弁護士会全米日系人博物館が共催する、日系コミュニティー・インターンシップ(NCI)プログラムのインターンが毎年夏に行う主要プロジェクトのひとつです。

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

田中誠一

アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

エンセン・井上

日本社会への突然の受け入れ(英語)

日本在住のハワイ生まれの格闘家(1967年生)