インタビュー
アジア系アメリカ人女性として法律の世界で生きる
1979年当時、法曹界で働く女性はそれほど多くありませんでした。当時、州全体で女性裁判官は1人か2人しかいなかったと思います。ですから、当時は法曹界で働く女性はそれほど多くありませんでしたが、法律事務所は多様化を図り始めていました。そういう意味では、日系アメリカ人女性であることは私にとって有利だったと思います。
しかし、私が受けた面接の一つを決して忘れないでしょう。ある法律事務所のシニアパートナーと指名パートナーが私にこう尋ねたのです。「それでは、あなたは2、3年働いてから辞めて結婚するつもりですか?」
「それとも、私たちの法律事務所に勤務する場合、PTAの会合に行くために日中に退勤することはできないとご存知ですか?」
それで私は彼に微笑みかけて、「質問してもいいですか?」と言いました。
彼は「もちろん」と答えました。私は「男性の応募者にもこのような質問をするのですか?」と尋ねました。
そして私は、彼が違法な質問をしていると雇用担当責任者に報告しました。
その法律事務所からオファーを受けたのですが、私が本当に必要とされていると感じた別の法律事務所に移りました。その法律事務所は女性を何人か募集していました。そして、私には今でもとても仲の良い友人がいて、もう一人の日系アメリカ人女性もいます。彼女と私はその法律事務所で一緒にサマーアソシエイトとして働き始めました。そして彼女はハワイの教育長、キャシー・マタヨシのような人物になりました。
それで、その法律事務所では他の日系アメリカ人女性やアジア系アメリカ人女性たちに囲まれていました。そこでは良い経験でした。
日付: 2022年7月14日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ラナ・コバヤシ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association