インタビュー
アイデンティティを見直す(英語)
(英語) 本当に皮肉なことです。僕には皮肉に思えるのです。僕は60年代の産物であるわけですね。他のことはともかくとして、全ての物事に疑問を投げかけ、全てを再検討しようという時代でした。それまでに信じられていた政治的、社会的、性的な真理が本当に正しいのか見直そうとしていました。
おかしなことに、僕はこのような重要なことを自分自身の歴史と照らし合わせて考えたことはありませんでした。例えば、僕が敵性外国人として育ったことにどのような意味があったのか?我々の強制収容にはどのような意味があったか?どこに収容されていたのか?僕はそのことを学んできただろうか?僕はそのことを分析しただろうか?僕はそのことを世の中に知らせただろうか?僕は何もしていませんでした。僕は自分の日本的な部分からかなり距離を置いていたのです。自分自身のコミュニティを拒絶していました。同時に妙な葛藤もありました。なぜなら日本的なことを拒絶する一方、それは僕自身の子供時代やコミュニティ、家族、家の出発地点だったからです。
戦後、僕らは少しずつ社会基盤を立て直し始めました。コミュニティで行う素晴らしいピクニックがありました。ボーイスカウトではキャンプ場を借りてキャンプに出かけました。エリー湖の湖畔での僕らだけのキャンプが大好きでした。そういった行事が僕は大好きで、キャンプでは一日中釣りに出かけ、素晴らしく美味しいお弁当を食べました。しかしある年、その場所を借りることができなかったので、ロンドの公園に行くことになりました。そこには僕らだけでなく白人も大勢ピクニックに来ていました。僕はそこにいる間中、おにぎりや照り焼きといったものをお箸で食べることに自意識過剰になっていました。ピクニックの居心地の良さは、そこにはもうありませんでした。
日付: 2011年2月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: パトリシア・ワキダ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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