インタビュー
戦後の国外追放の企て (英語)
(英語)政府は戦争が終わった後も、卑劣な計画を用意していました。日系人全員を日本に国外追放しようとしていたのです。非常に姑息な政府のやり方でした。家族が一緒に居るためには日本に行くしかないと吹聴したのです。しかしそれはごまかしでした。政府はこの計画を本当に実現させようとしていましたが、人々の自由を擁護するたくさんの教会や市民団体の協力のお陰で阻止されました。クエーカー教徒や我々自身の抵抗の賜物です。その頃までに人々は日系人に何が起きていたかを知り、がく然としていました。政府は、日系人を日本に送る一連の計画を本国への帰還と呼びましたが、僕には全く意味がわかりません。僕が愛する国はカナダであって、日本は外国でしかないのです。政府は僕を日本に送り、一体何を成し遂げようとしていたのでしょう?
正確に言うと、それは国外追放以外の何ものでもありませんでした。二者択一を迫られた僕らはチャタムへの移住を選びました。僕はそこで僕は育ちました。人々が生涯をかけて築き上げてきた財産が一晩で奪われ、コミュニティ全体が強制退去させられ、収容所に押し込まれるという、この異常な時代の全貌に人々は衝撃を受けています。そしてさらに戦争直後、収容所から解放された人々は散り散りになり、少人数での孤立した生活を強いられました。この広大なカナダの国土で、離散状態となったのです。
日付: 2011年2月9日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: パトリシア・ワキダ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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