ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/878/

出生地のもつ意義に気づいて (英語)

(英語) ずいぶん前のことになりますが、ある用紙の記載事項に「あなたの出生地はどこですか?」という項目があったんです。僕は初めて「マンザナー強制収容所」と書き込んだんです。それを見て、「マンザナー?それはどこ?」と人は言うので、説明しなければならない訳ですね。でも「強制収容所」と書いても、僕はそれが何かよく分からないんですよ。日系人が強制収容されていたことや、僕が砂漠で生まれたことは知っていましたけど、その事実を知ることと、本当の意味で理解することは違いますからね。

それで僕は、大学に入って間もない頃、そのことをきちんと理解しようと思ったんです。おそらくアランと同じ状況でした。政府学の授業を受けていた時、日系アメリカ人の強制収容における人種差別をテーマに論文を書いたんです。ゴードンの書籍を全て読んだりいろいろリサーチをした訳ですが、僕はとにかく開眼させられました。自分自身を政治的な観点から見つめることができたんです。


カリフォルニア州 強制収容所 マンザナー強制収容所 人種差別 アメリカ合衆国 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所

日付: 2004年12月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。

アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。

アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)

フランク・ヤマサキ

ほこりだらけのミニドカ収容所の記憶(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

マリオン・ツタカワ・カネモト

先生から聞いた反アメリカプロパガンダ(英語)

日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)

フレッド・ササキ

フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

パット・アダチ

スロカン日系カナダ人収容所での家族生活(英語)

第2次大戦中の収容経験あり。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー(1920年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ビンス・オオタ

東海岸とロサンゼルスの違い(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

トシオ・イナハラ

4C-敵性外国人-に分類(英語)

血管外科医(1921年生)

バート・A・コバヤシ

本土におけるハワイの情報不足(英語)

Kobayashi Group LLCの.創設者 (1944年生)

ウィリアム・ホウリ

収容所へ戻ろうとした時(英語)

政治活動家(1927-2010)

ジーン・アクツ

徴兵反対者に対する日系コミュニティの反応(英語)

徴兵忌避者(1925年生)

ジーン・アクツ

世論に影響を与えるメディアの役割(英語)

徴兵忌避者(1925年生)