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「ライフスタイル」の定義づけ (英語)

(英語) 当時僕らは、「ライフスタイル」という言葉を多用していて、現行の社会習慣とは異なる生活様式を模索していました。そして模索と称して、僕の場合はLSDといった麻薬を使うこともあったんですね。LSDやマリファナ、それからマッシュルームなど、あらゆるものがありましたね。他にも瞑想したりヨガや太極拳をしてみたり、そういう時代だったんです。公園に行って(ヒッピーの)愛の集会に参加したり。公園で竹笛を吹き始めたのもその頃で、それは今でも続けています。僕は39番通りとウェスタン通りを通ってマーチン・ルーサー・キング公園という小さい公園に行き、コンガ奏者と一緒に演奏しているのですが、それも当時から続けていることなんですよ。当時は、グリフィス公園のメリーゴーランド付近やバークレーのスパール・スクエア、それからヨットレースなどが行われていたノース・ビーチの売店付近でワインを飲んだりマリファナを吸ったりしていたんですね。(1960年代にヒッピーのたまり場になったサンフランシスコの)ヘイトアシュベリや、(愛や平和を訴えて花を持ったり配ったりした)フラワー・チルドレンと呼ばれたヒッピーの時代ですね。


1960年代 1970年代 ライフスタイル

日付: 2004年12月10日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

太鼓及び笛奏者として有名なジョージ・アベ氏は、1944年マンザナー強制収容所で生まれました。戦後家族と共にカリフォルニア州ロサンゼルスに再移住したのはアベ氏が1歳の時でした。帰米であるアベ氏の母は、カリフォルニア州オレンジ市で生まれ9歳で日本へ行き、26歳でロサンゼルスに戻りました。アベ氏の父は一世です。

アベ氏はアーティストやミュージシャンのいる環境で育ち、母親と共に琵琶のリサイタルにも参加しました。学校のバンド活動でもクラリネット、サックス、オーボエなど様々な楽器を演奏しました。アベ氏の音楽への興味はその後絶えることなく、尺八や笛といった伝統的な日本の管楽器の演奏を学びました。

アベ氏はロサンゼルスの洗心仏教寺を拠点として活動する緊那羅(きんなら)太鼓の創設メンバーの1人であり、今日に至るまでグループと活動を共にしています。緊那羅太鼓は、北アメリカで結成された最初の太鼓グループの1つであり、田中誠一先生率いるサンフランシスコ太鼓道場の次に設立された2番目のグループです。アベ氏は芸術の影響力と太鼓が人々に与える活力を確かなものとして捉え、彼自身の芸術性を文化、精神そして共同体への意識啓発に役立てています。(2004年12月10日)

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