4C-敵性外国人-に分類(英語)

家族構成(英語) 12歳で1930年のフォードを運転(英語) 4C-敵性外国人-に分類(英語) イナハラ・シャント(英語) 大学進学を勧められて (英語) 和菓子職人だった父 (英語) 自己アイデンティティは日本人の子孫 (英語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(英語) 1942年1月、私は米国空軍に志願しました。当時の志願条件の1つに、大学への在籍経験1年以上を有する者、という項目がありました。当時、私はちょうど大学1年目を終えたところでした。それから筆記試験と身体検査の通過も条件でした。私は入隊する準備が整っていたので、空軍基地に赴きました。が、私のバックグランドが日系人ということで、入隊を拒否されました。私は弁護士を立て、入隊拒否に対して訴えを起こしました。その弁護士というのが、ポール・パターソンだったわけですが、彼と私は過去に仕事上の取引でオレゴンのヒルスボロで知り合っていたんです。後にオレゴン州知事となった人物でもあります。彼が代理人となり、私は裁判に訴えましたが、訴えは受け入れられませんでした。その後私は、戦争が終わるまで「4C」と分類されました。

I*: 「4C」はどういう意味ですか?

敵性外国人です。

*"I" はインタビュアー(アケミ・キクムラ・ヤノ)

日付: 2005年12月6日
場所: 米国、オレゴン州
Interviewer: アケミ・キクムラ・ヤノ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

air force discrimination racism

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