(英語) 緊那羅(きんなら)太鼓の誕生については、それぞれが違う解釈をしているんじゃないかと思います。僕が覚えているのは、太鼓を片づけていた時のことです。お寺には太鼓が1つだけあって、それは毎年お盆の時に使われていたんですね。イノウエ先生という日本語学校の先生が、踊りのテンポや拍子の音頭をとるためにその太鼓を叩いてました。イノウエ先生の太鼓の叩き方はとても独特でした。
緊那羅太鼓がちょうど発足しようとする時だったのではないでしょうか。マス(コダニ氏)もここにいて、念仏の唱え方や仏教音楽などを学ぶことについて話をしていたんです。そして、踊りのための太鼓演奏に興味を持ち始めている人もその中に何人かいたので、何人かでイノウエ先生にリズムのとり方を習い始めたんですね。ある日僕らが太鼓を片づけていた時、何となく即興で太鼓を叩き始めたんです。何時間かそうやって叩いていたら、一晩中やっていた訳ではなかったのに、僕の手から血が出てきて、まめも潰れてしまったんですね。でも、太鼓を演奏することでエネルギーがすごく満ちてくるような感覚になって、僕にとっては、それが緊那羅太鼓の始まりだと思っています。
日付: 2004年12月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: アート・ハンセン、ソージン・キム
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター