ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/754/

ひとつの言葉で考え、別の言葉で生活(スペイン語)

(スペイン語)祖父はいつも日本語で考えて、そのことをスペイン語で話しながら生活をしていたと思うのです。これが外国人の特徴でもあります。一つの言語で考えてもう一つの言語で行動し、生活するのです。祖父はその二つのことをかなりうまく両立していたようです。物静かで、とても温かい人だったと思います。実際の日本人がどうなのかは私には良く分かりませんが、その温かさはもしかするとアルゼンチン人的な部分だったのかも知れません。どのように表現していいのか良く分かりませんが、おじいちゃんが孫にウィンクをしているような感じでしょうか。もっと距離を置いても良かったのかも知れませんが、そんなことをせずもっと近い存在でした。大人になってからも祖父とはいろいろなお話をしたかったなと今でも思いますが、残念ながら私が幼い頃に亡くなってしまいました。その時からかなりの時間が過ぎていますが、私は日本語を勉強し始めました。少しでも二人で日本語で話してみたかったと思い描くのです。そうしたかったと思うのですが、実現できませんでした。


アイデンティティ 言語 多人種からなる人々

日付: 2006年7月12日

場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス

インタビュアー: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ

提供: アルゼンチン日系センター

語り手のプロフィール

ポーラ・オヨス・ハットリさんは、アルゼンチンブエノスアイレス生まれの日系三世です。ハットリさんは、大学で文学とダンスを専攻しています。彼女の父はアルゼンチン先住民の子孫で、母方の祖父母は日本人、母親は二世です。アルゼンチンと日本にルーツを持つ彼女独特の容姿は、2つの文化が融合された特徴的な雰囲気に包まれています。(2006年7月12日)

与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

異なった方言を理解することの難しさ(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

アート・シバヤマ

アメリカ人二世と帰米との野球ゲーム(英語)

ペルー生まれの二世。第二次大戦中アメリカへ連行。(1930-2018)

ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)