(英語)大阪や京都で教育を受けました。良い先生に師事し、とても幸運でした。先生のお陰で造園家になることができました。大阪の久保貞教授が日本庭園のランドスケープ・アーキテクトへの道に導いてくれました。その後私は京都へ行き、日本庭園についてより深く学びました。どちらかというと理論重視で、当時の私の日本庭園の知識は学問的なものでした。渡米後、日本庭園を実際に作れるか自信はありませんでした。日本では、大阪でほんの数回の経験しかなく、私は未熟でした。コロナ・デル・マーでプロジェクトを持つことになった時、本当の意味で私の造園家としての仕事が始まりました。
I*: どのような経緯でそのプロジェクトに関わることになったのですか?
私の学生の兄弟が造園家で、会社で日本庭園を造る助けを必要としていました。それがスウェドローさんでした。私たちは非常に小さな日本庭園のプロジェクトから始めて、敷地全体を日本庭園にするようなプロジェクトまで手がけました。
* “I”はインタビュワー(ソージン・キム)
日付: 2016年8月10日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ソージン・キム、ジョン・エサキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター