ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1582/

正統握りをアメリカで提供することへのこだわり

自分は子供のときから寿司屋の二階で寝て、朝起きたらそこで仕事をしなきゃいけないということを一生懸命伝えられて、親方に怒鳴られながらも教わったことは、それはもう自分の宝なので、それを今更の新しいものにってわけには曲げられない。自分の教わったもの、「古い」と言われても、それは守らなければいけないし、自分としては守っていきたいです。伝統を通していきたい。それは本当に心から、信念として握っていきたいと思っています。

今いろんなブームがありますけど、現在はもう、何ていうんですかね、そういった正統握りとアレンジされた寿司と二つに分かれちゃっている。握りじゃなくても巻物専門のお店で十分、もう日本食という、寿司というものに通っている社会になっちゃったので、自分はまだ古い型のままを、そのまま通して日本の町で商売させてもらっています。そういう意味合いであって、よそから来ると変わった寿司屋さんだとか、こういうのも無いのかとか、ああだとか、よくお客さんに怒られますけど、自分たちはそういった形で説明させてもらっています。

 


文化 食品 日本食 寿司 アメリカ合衆国

日付: 2016年4月16日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: 渡辺 美津重

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1949年8月21日、青森県に生まれる。1962年16歳で上京し、夜学へ通いながらすし屋に住み込みをし、板前の修業をする。その後、三長会という調理師組合に入り、数々のすし屋を転々とする。1973年、ロサンゼルスの東京會舘という店と3年契約をして渡米。契約終了後、一時帰国するが、その後も東京會舘から声がかかり、再び3年契約を結んでロサンゼルスへ来る。契約終了後、アメリカへ残ることを決め、1980年にロサンゼルスのリトル東京に「鮨元」を開店。また南加青森県人会の創設にも尽力し、ロサンゼルスにおける日系人コミュニティの発展に貢献しているほか、2007年には初代ねぶた囃子保存会会長を務めるなど、アメリカにおける日本文化継承活動に力を注いでいる。2015年、在ロサンゼルス日本国総領事館より総領事表彰を受賞した。(2018年5月)

ジーン・ワカツキ・ヒューストン

典型的な一世だった父(英語)

作家(1934年生)

ロイ・ヒラバヤシ

家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

モニカ・小木曽

日本で外国人としていることの楽さ(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ビンス・オオタ

アジア系とのかかわりをあまり持たずに東海岸で育つ(英語)

在日日系アメリカ人デザイナー

マーガレット・オダ

日本語と価値観をもとに育つ(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

マーガレット・オダ

家族の食卓の思い出(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

マーガレット・オダ

正月料理の意味(英語)

(1925 - 2018)ハワイ出身の教育者、二世

ロベルト・ヒロセ

ラテンアメリカにおける日系人の多様性(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

戦時中の日系人への政治的な影響(スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ロベルト・ヒロセ

日本人への見方が日系人へも影響 (スペイン語)

二世日系チリ人、ビジネスマン(1950年生)

ポーラ・オヨス・ハットリ

日本文化への興味 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ポーラ・オヨス・ハットリ

文化の多様性を学ぶことの重要性 (スペイン語)

日系アルゼンチン人、三世

ルイス・ヤマダ

戦時中の苦難(スペイン語)

二世日系アルゼンチン人 (1929年生)

松原由美

アメリカナイズされた価値観

岐阜県出身新一世。 最近アメリカ市民権を取得。