戦時中の苦難(スペイン語)

鍼医のパイオニアだった父(スペイン語) 戦後、アルゼンチン定住を決意(スペイン語) 戦時中の苦難(スペイン語) 戦時中、日本帝国軍に従軍(スペイン語) 戦後アルゼンチンに戻る(スペイン語) 日系人としての誇り(スペイン語) 運の強い男(スペイン語)

書き起こし文章は右記の言語でご覧になれます:

(スペイン語)苦難と食糧難、いかなるときでも人類にとって最も悲惨な体験ですが、あの時代の若者、特に苦労知らずの若者にとっては、結局プラスになる経験だったと思うのです。我々も毎日、食糧調達に苦労しました。米の節約もありましたし、米が手に入らなければ、ビスケットで代用し、豆類や、じゃがいもの代わりにさつまいもが配給されました。また、味付けをする塩もなく、特に砂糖は入手しにくいものでした。塩を代用するために海辺にいって海水を汲んで桶に入れて運びました。その海水で塩分を採っていたのです。砂糖は贅沢品でしたね。 こうした経験をした若者や子どもたちは、その後大人になってからも立派にやっていけたのです。苦労を体験していたからです。多くは私と同じ年頃かちょっと年配ですが、その多くは戦争で亡くなっています。いろいろなことがありましたが、そのような状況も地域や自治体、市町村によって異なっていました。空襲の被害を受けた町とそうでないところではやはり随分と状況が違っていたようです。

日付: 2006年9月18日
場所: アルゼンチン、ブエノスアイレス
Interviewer: タケシ・ニシムラ、リカルド・ホカマ
Contributed by: アルゼンチン日系センター

food rations World War II

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