インタビュー
捕虜交換船で日本へ帰国
天野は、その戦争が始まった直後に、パナマに家を構えてましてね。そして、パナマの自分の自宅からパナマ運河が一望できるんですよ。ですから、そこからよく写真を撮ってましたので、もうその当時日米開戦というのは避けられないということで、緊迫した状況にありましたので、当然パナマにいて、パナマ運河を一望に見回せるところに京を構えて、ま、派手な生活をしてる天野は、当然アメリカの監視の対象、監視下にありまして。で、戦争が始まると同時に、捕まってしまうんですね。 そして、アメリカに送られ、で、アメリカから一番最初の捕虜交換船が出るときに、あれはマダガスカル*(注:実際の捕虜交換はシンガポールで行われた)ですかね。日本にいたアメリカ人と米国にいる日本人、これがあの確かマダガスカルか何かで、捕虜交換船で交換して、そして、あのお互いに戻るわけですけども。その一回目の捕虜交換船に、天野も乗船することができて、日本へ着の身着のままで帰ってくるんですね。
日付: 2007年5月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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セドリック・シモ
ルーズベルトが日本からの攻撃を望んでいたことを知って(英語)
第1800工兵部隊の一員。戦後本田の輸出部にて、アメリカと日本の貿易を促進(1919-2020年)
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