ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1274/

囚人の詩 (英語)

(英語) 多くの詩を載せていて、中には非常によくできているものもありました。それぞれとても興味深く、囚人が作った詩もあったのです。アジアの囚人たちの元をよく訪れたグループがいました。彼らもまた、刑務所の中で蔑にされた経験があったからです。誰も収監されているアジア人がいるとは思わなかったのです。彼らは本当に『Gidra』が大好きで、多くの人々が、『Gidra』を手に取って他の囚人たちに回しました。彼らは手紙をくれたのです。それで、刑務所の中の人々による記事が多く載るという時期がありました。


政府 アイデンティティ 文学 政治

日付: 2011年9月28日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: クリス・クロミツ、ジョン・エサキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

エヴェリン・ヨシムラ氏は、家族が第二次世界大戦の強制収容所があったアリゾナ州ポストンから移り住んだ場所、デンバーで生まれました。そしてまだ子供のうちに、ロサンゼルスのCrenshaw地区に移りました。1960年代の激動の公民権運動時代に主に黒人社会で育ち、1965年のワッツ暴動を直に目撃します。ドーシー高校卒業後、エヴェリンはカリフォルニア州立大学へ進学し、設立したばかりのアジア系アメリカ人研究プログラムの発展に貢献。この期間中、彼女は二十年にわたるリトル・トーキョーの文化的施設やアメラジアン・ブックストアの創設者の一人であり、『Gidra』のスタッフメンバーでした。『Gidra』は、挑発的なジャーナリズムの混合、グラフィック・アート、社会的・文化的・政治的事実を特集した革新的なアジア系アメリカ人の出版物です。

エヴェリンはリドレス・キャンペーンで活躍し、1981年に行われた一般人の戦時再配置及び収容に関する委員会のロサンゼルス公聴会のための重要なコミュニティ・オーガナイザーを務めました。現在は、LTSC (Little Tokyo Service Center) のコミュニティ・オーガナイジング・ディレクターです。2001年9月11日以降、エヴェリンはLTSCで、アラブ系アメリカ人とイスラム教徒の社会とのつながりの構築をはじめとした多くのプロジェクトに取り組んできました。(2012年8月)

 

リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)

演歌歌手(1981年生)

藤間勘須磨

日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

アメリカ人になろうとした結果(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

ケニー・エンドウ

ネイティブアメリカンの居留地でのインターンシップ(英語)

和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)