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訴訟を行うことで人権回復のための基準を設定(英語)

(英語)訴訟の意義についてですが、当時考えていたこと全てを今すぐには思い出せませんが、話しながら少しずつ思い出すでしょう。

まずは、訴訟を起こすことで、損害内容と22項目の訴訟理由を明白にすることができ、結果的に賠償とは何か、を定義づけることができました。また、具体的な救済内容として、270、280億ドルの賠償金を請求しました。裁判を起こすことで、賠償金額の目安を設定することができたのです。損害内容を明白にすることは非常に重要ですが、法律の中でそれが示されることはありません。法律自体は、損害を定義しないのです。何が損害だったのか、言明しません。損害を定義しなければならなかったら、法律(Civil Liberties Act of 1988)は成立していなかったろうと思います。議会は、政府に間違いを認めさせるような状況設定を避けようとしていました。それで議会は、実質的な決定のみを行いました。賠償金額の決定、どのように執行するか、人々に支払う金額の決定、実務的な様々なことですね。タイムフレームもその中の1つですし、政府の他機関への影響を含めた諸々に関わることです。我々が起こした訴訟は、そういった事柄を決定するために基準となる目安を示したのです。

また、「日系アメリカ人対アメリカ合衆国」という対立の関係が生まれたことも、この訴訟がもたらした重要なことと感じています。日系人とアメリカ政府がこのような関係になったのは全く初めてでした。我々日系人は、国に対して常に忠実でした。それまでの日系人のアメリカ政府との関係性は、「忠実」の一言に置き換えられると言っても過言ではありません。しかしながらここにきて日系人は、アメリカ合衆国を相手取り、訴訟を起こしたのです。ついに、両者にふさわしい関係になったのです。酷い関係になった訳ではありません。私たちは、この国に酷いことをして痛い目にあわせようなんて考えていた訳でもありません。私たちは、法の下に保障される自分たちの権利を求め、また、国にその責任を負ってほしいと考えていました。私は、日系人と政府の関係修復が、なされるべき重要事項の一つだったと考えています。これは、日系人に限ったことではありません。皆が学ぶべきことです。私は、過去50年は、人権回復のための半世紀だったと思っています。人々は、政府から人権を取り戻し、健全な関係を築こうと努めてきました。公民権運動、フェミニスト運動、同性愛者たちの運動、その他大勢が声を上げるようになりました。素晴らしいことだと思います。そして、我々日系アメリカ人も声を上げたことは、非常に重要だったと思います。


公民権 訴訟 リドレス運動

日付: 1998年6月12日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ウィリアム・ホウリ氏は、1927年カリフォルニア州サンフランシスコに6人兄妹の末っ子として生まれました。第二次世界大戦の勃発と同時に、家族と共にカリフォルニア州のマンザナー強制収容所に収監されました。高校を卒業した1週間後、ホウリ氏は強制収容所からウィスコンシン州に移り、ウィートン大学に入学しました。1945年3月、ホウリ氏は、父親に会うため再びマンザナーを訪れましたが、許可証を持たずに来訪したとして身柄を拘束されました。さらに、彼個人に対する立ち退き命令が下され、その日の深夜までカリフォルニア州外へ強制退去させられることになりました。その時、ホウリ氏には銃口が突き付けられていました。

戦後、ホウリ氏は、日系アメリカ人市民同盟(JACL)のメンバーとなりましたが、反戦運動や公民権運動に対するJACLの無関心に失望しました。JACLが、議会の委任を受けて強制収容に関する調査活動に乗り出したことを受け、ホウリを中心とするシカゴとシアトル支部の反対者は、1979年5月、政府による個別補償を求めるため、全米日系アメリカ人市民連盟(NCJAR)を立ち上げました。当初、ホウリ氏とNCJARは、マイク・ローリー下院議員(ワシントン州選出)に個別補償の法案化を依頼しましたが、廃案となったため、ホウリ氏とNCJARは裁判で賠償請求を行うことにしました。1983年3月16日、ホウリ氏と24名の原告団は、政府を相手取り27億ドルの損害賠償を求める複雑訴訟形態の裁判を起こしました。

ホウリ氏は、2010年11月12日83歳でこの世を去りました。(2011年11月)

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