(英語)収容所の学校の問題は、とにかく教育の質が最悪だったことです。少なくとも私の観点から言って、最悪、劣悪でした。学校からは何も得られないことがすぐにわかり、次第にやる気もそがれていきました。私たちは、こういう授業が必要だ、ああいう授業も必要だなどと言って、どうすればまともな授業を受けられるか考えましたが、実態はとにかくメチャクチャでした。そして、当時のしわ寄せは、大学進学後、またはその後の人生に及ぶことになりました。私の場合は、補修講義のあるシカゴ大学に進学できたのでとても運が良かったのですが、何も知らずにいれば、簡単に落とし穴に落ちてしまっていたでしょう。そういう意味で、私は本当に幸運でした。大学に補修プログラムがなかったら、最悪だったろうと思います。何しろ落差が激しかったですから。大学に行くまでそんなギャップがあろうとは思いもしませんでした。文学のことなんて何も知りませんでしたし、本もほとんど読まず、芝居も音楽も分かりませんでした。(笑)(大学に入って)自分の無知を実感しました。
日付: 1998年6月12日
場所: 米国、カリフォルニア州
Interviewer: ダーシー・イキ、ミッチェル・マキ
Contributed by: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター