ディスカバー・ニッケイ

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ペルー日系料理

それからペルーの日系料理っていうのがあってね。これもおもしろくてね。やっぱり当時日系の1世の人たちが、ないなりに自分たちのお祭りの日とか、誕生日の日とか、結婚式とか、やっぱり日本料理らしいもの作りたいなぁと。ところがあんまり材料がないんだけど、まぁそんなかでもやろうじゃないかということで、いろんなもの作ってるわけね。これがね、ものすごくね、苦労されたっていうか、そうですね、いろんな工夫されたっていうかね、そういった料理もあるわけね。

で、日系の人たちのね、その料理もね、非常に工夫の跡が見られてね。要するに、餅がなかったらね、そのキャッサバでね、餅らしいもの作るとか。それから梅干がない時代には、ジャングルにね、梅の味にそっくりなね、あのー、これは豆科でね、ルピナスに近い豆科の花なんだけど、これを塩漬けにするとね、本当に梅みたいな味がするわけ。それを梅代わりに食ってたって。それが今現代じゃ、それがどうなったかっていったら、それまた梅とは別個で、それだけ食べると京都の柴漬みたいな味になるわけ。だからこういったものは、日本ないわけね。だから、そういったもの利用したりね。

それからやっぱり田舎に行くと、当然日系の人たちが家に呼んで頂けるけどね。その時にやっぱり昔の名残りをね、要するに、椎茸っていうのは、昔は銀より高かったのね、干し椎茸がね。銀がだいたい1オンスが5ドルぐらいの時に、干し椎茸1オンスって言ったら、おそらく30ドルぐらいしてたのね。だから、これは晴れの日しか食べられないわけ。で、まぁ、保存がきくっていうこともあるから、干し椎茸だとね。晴れの日、要するに、晴れの日っていうのは誕生日とか結婚式。そういう時に、彼らは、椎茸と、それから、とっておきの春雨と。それで、こう煮物を作るとかね。それが今でもね、田舎に行くと、そういう料理が出てきますよ。


料理 料理 (cuisine) 食品 多国籍料理 ペルー

日付: 2007年4月18日

場所: ペルー、リマ市

インタビュアー: アン・カネコ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

1953年7月11日、宮崎県西都市の老舗和食料理屋の4代目の息子として生まれる。6歳のころからレストランの厨房で遊んでいた小西氏は、11歳の時修業のため他の料理人候補たちと共に厨房の手伝いをするようになる。その後、16歳で上京し、1971年に料理屋「ふみ」のシェフになる。

1974年、アメリカや日本などで和食創作料理で知られている「NOBU」のオーナー松久信幸と共にペルーへ移住。「Matsuei」という和食レストランで10年間シェフを勤めた後、リマ市内のシェラトンホテルで「Wako」と「Toshiro’s」を開店。2002年には、サンイシドロ地区にある「Sushi Bar Toshiro’s」のマネージャーも勤めるようになる。

レストラン経営の傍ら、San Ignacio de Loyola大学でも教鞭を執っったり、世界各国の料理フェスティバルへも参加し、創作料理「ペルービアン・フュージョ ン」(日本とペルーの創作融合料理)を紹介し、数々の表彰を受ける。2008年には、ラテンアメリカに定住している日本人シェフでは始めて、日本政府より農林水産大臣表彰を受賞した。(2009年10月)

ベナンシオ・シンキ

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日系ペルー人画家 (1932-2016年)

ベナンシオ・シンキ

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日系ペルー人画家 (1932-2016年)

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日系ペルー人画家 (1932-2016年)

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ペルーの琉球祭太鼓のディレクター(1974年生)

アキラ・ワタナベ

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ドリス・モロミサト

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詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)

ドリス・モロミサト

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詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)