ディスカバー・ニッケイ

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初選挙 (英語)

(英語) 当時私は、ある意味反抗的な学生でした。私は積極的にYMCAの活動に参加したり、クラスメートのほぼ全員が生徒会委員や学生新聞などの編集者をしているようなクラスに所属していました。そして新学級になった最初の登校日に、学級委員の選挙がありました。その日私は教室の中に座りながら、「こういうのは自分には関係ないな。ネクタイなんかしてる他の人たちがなればいい」という風に考えていたんですね。私は彼らのことを、ネクタイ・ボーイズ、なんて呼んでいたんです。スーツ上着を着て来る生徒もいましたしね。とにかく学級委員の選挙が始まると、突然誰かが立ち上がって私を推薦したんです。そして他の誰かが、「これにて推薦を締め切ります」と言ったんですね。彼らはくっくっと笑っていました。私は学級委員に仕立て上げられ、みんなはそれを面白がっていたんです。学級委員になるようないわゆるプロは、ほかの生徒たちだった訳ですから。

その日学校が終わると先生は私を呼び出し、「彼らが何をしたのか、私は分かっている。君を笑いものにしたりして、彼らのことを恥ずかしく思うよ」と言いました。そして先生は、「これは、議会運営についてのロバート議事法だ。これを勉強してきなさい。1週間後に話し合うからね。そして来月最初の学級会で、彼らに思い知らせなさい」(笑)と私に言いました。

私が議会運営についての規定をこの時に初めて知りました。それまで私は、それが何なのか全く知りませんでしたし、そんなことはどうでもよかったんです。そうして(最初の学級会で)私はクラスメートを驚かせたんです。予想外のことに戸惑う様子の生徒もいましたが、クラスメートたちは少しずつ私のことを尊敬してくれるようになりました。


教育 政府 政治

日付: 2001年5月31日

場所: 米国、カリフォルニア州

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ダニエル・K・イノウエ上院議員は、1924年9月7日ハワイ州ホノルルに生まれました。18歳で日本軍による真珠湾攻撃を目の当たりにし、アメリカ軍に志願し、日系人部隊の第442連隊戦闘団に配属されました。

「失われた大隊」の救出により、イノウエ議員は、青銅星章を受勲し、軍事少尉として戦地での指揮を任されます。イタリアでの激しい戦闘では、手榴弾の炸裂により右腕を失いました。その結果、イノウエ議員には、合衆国の勲章順位第2位であり、軍人の勇敢な行為に対して贈られる殊勲十字章が与えられました。

戦後、ハワイが米国の州となった1959年、イノウエ議員は、初のハワイ州選出の連邦下院議員となりました。その後、1962年には上院議員となり、以後6年ごとの議員選で当選してきました。民主党の議員のイノウエ氏は、日系人初の上下両院議員となりました。

2000年、ホワイトハウスは、イノウエ議員と他20名のアジア系退役軍人を招き、軍の最高位にあたる勲章を授与しました。第二次世界大戦からかなりの年月を経て、彼らの栄誉は、認められ、彼らにふさわしい名誉勲章が与えられました。

イノウエ上院議員は、2012年12月、88歳で亡くなりました。(2012年12月)

ペギー・ニシムラ・ベイン

市民権を取り戻す(英語)

ワシントン州出身の二世。ツーレレイク強制収容所へ収容後、シカゴへ再転住。(1909年生)

リチャード・コサキ

第2次大戦中の陸軍語学学校での教鞭(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

コミュニティ大学の教師として学んだこと(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

リチャード・コサキ

教師としての報酬(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

フランク・ヤマサキ

賠償金について(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

ミツオ・イトウ

日本語学校 (英語)

日系カナダ人二世。戦後日本で英国軍の通訳者。日系カナダ人コミュニティで活躍(1924年生)

シズコ・カドグチ

日本の男女別教育(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

サム・ナイトウ

ポートランドの日系コミュニティの外で育った経験(英語)

二世ビジネスマン。Made in Oregonの店をオープン。(1921年生)

田中誠一

日本の音楽教育(英語)

新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)

アリス・スミダ

仏教寺院と地方の学校で受けた教育(英語)

アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)

アルフレド・カトウ

戦後リマでの体験談(スペイン語)

ジャーナリスト(1937生)

ビル・ハシズメ

日本の教育を受けさせるようにという父の遺言(英語)

1952年まで日本からカナダへ帰国できなかった二世の日系カナダ人(1922年生)

バイロン・グレイサー

アートをサポートすることの重要性(英語)

イラストレーター、デザイナー

ロイ・ヒラバヤシ

学校と家で学んだ日本語(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長