インタビュー
父からの言葉 (英語)
(英語) 私が軍に入隊した日、父は休暇願いを出し、休みをとってくれていました。当時、休暇をとるには雇用主の承諾を得なければならないことは法律で定められていました。勝手に休むなんてことはできない時代だったんですね。父は私と一緒に路面電車に乗りました。父と私2人が隣り合わせに座り、まっすぐ前の方だけを見て目的地の近くまで一言も言葉を交わさない、そんな情景が想像できるでしょう。
路面電車が止まる間際になって、父は咳払いをし、私にこう言いました。「この国は私たち一家にずっとよくしてくれていた。私には仕事を与え、お前を学校に通わせ、私たちは良い生活を送ることができた。我々は、この国に多大な恩義がある。恩義があるからこそ、もしおまえが命を捧げなければいけない時は、そうしなさい。ただ、何をするにしても、家族の名を汚し国の不名誉となることをしてはいけない」父が言ったことはそれだけでした。
このような考え方は、二世の人々の価値観の重要な部分に当たるんです。前線での最初の攻撃前夜に考えていたことを、私ははっきりと覚えています。そして次の日の朝、私が副班長として所属していた班で、我々12名の隊員が出動命令を待つ中、私は腰を下ろしていました。そして座りながら彼らに、「ところで、ちょっと興味があるのだけれど、君達は昨夜何を考えていたんだい?」と聞いたんです。しばらくして1人が口を開き、「自分が臆病者になってしまわないように祈ってました」と言ったんですね。そして次の隊員も、「ええ、僕も同じことを考えていました。(臆病な行動は)家族の名を汚すことになりますから」と言うのです。 言い方は違っていても、みんな同じことを言っていました。家族の不名誉にはなりたくない、ということですね。
我々の部隊は、農園で働く人々、畑仕事をする農民、または強制収容所から志願してきた人々から成っていて、Kotonk(アメリカ本土出身の日系人兵の通称)やハワイ出身者の混合部隊でした。モンタナ、ワイオミング、アリゾナ、ホノルル、出身地がどこであろうと、みんな同じことを言っていました。
日付: 2001年5月31日
場所: 米国、カリフォルニア州
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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